2014年12月10日水曜日

『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫②

(震災レポート30) 震災レポート・拡張編(10)

 ―[脱成長論 ②]

                           中島暁夫




『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
 
                             (集英社新書)2014.3.19――[後編]
                                                 (2014.4.16 3刷)


【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル(続き)

○ゼロ金利は資本主義卒業の証

・(この章の冒頭で)「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にある」と言ったが、その理由は、長らくゼロ金利が続いている日本は、おそらく最も早く資本主義の卒業資格を手にしている、と考えるから。→ 私は、デフレも超低金利も経済低迷の元凶だと考えていない。…両者のどちらも資本主義が成熟を迎えた証拠だから、「退治」すべきものではなく、新たな経済システムを構築するための与件として考えなければならないもの。〔※う~ん、これも逆転の発想(未来性からの視点)…〕
・私から見れば、デフレよりも雇用改善のない景気回復のほうが大問題。→ 雇用の荒廃は、民主的な資本の分配ができなくなったことを意味するから、民主主義の崩壊を加速させる(そうなれば、新しいシステムの構築どころの話ではない)。→ 雇用なき経済成長は、結果として日本そのものの地盤沈下を引き起こし、日本を政治的・経済的な焦土と化してしまう危険性すらある。(※昨今の〝人間性の崩壊〟を感じさせるような様々な事件の発症などは、その予兆なのではないか…。「シリアで戦争をしたい」という若者たちまで現れている…)
・もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期限が切れかかっている。…しかも、21世紀のグローバリゼーションによって、これまで先進国が享受してきた豊かさを、新興国も追い求めるようになった。→ そうなれば、地球上の資本が国家を見捨て、高い利潤を求めて新興国と「電子・金融空間」を駆け巡る。→ その結果、国民経済は崩壊して、先進国のみならず新興国においてもグローバル・エリートと称される一部の特権階級だけが富を独占することになる。……非正規雇用者が雇用者全体の3割を超え、年収200万円未満で働く人が給与所得者の23.9%(1090万人)を占め(2012年)、2人以上世帯で金融資産非保有が31.0%(2013年)に達している日本の二極化も、今後グローバルな規模で進行していくのだ。
・このような危機を免れるためには、日米独仏英をはじめとした先進国は、「より速く、より遠くへ、より合理的に」を行動原理とした近代資本主義とは異なるシステムを構築しなければならない。(※ここで言う「合理的」とは、〝資本にとっての合理性〟ということだろう…)

○前進するための「脱成長」

・成長を求めない脱近代システム……(そのための明確な解答を私は持ち合わせないが)それは一人でできるものではなく、中世から近代への転換時に、ホッブズ、デカルト、ニュートンらがいたように、現代の知性を総動員する必要がある。…ただ、少なくとも新しい制度設計ができ上がるまで、私たちは「破滅」を回避しなければならない。→ そのためには当面、資本主義の「強欲」と「過剰」にブレーキをかけることに専念する必要がある。
・(これは一見、現状維持のようだが)現在の先進国の状況を考えると、現状維持ですら至難の業なのだ。→ なぜなら、成長を求めてもバブルが崩壊すれば、莫大な債務を抱え込み、経済はバブル以前に比べて後退してしまう。…日本もアメリカも膨大な国家債務を抱えているが、それは成長を過剰に追い求めた結果なのだ。…一国の財政状況には、そのときどきの経済・社会構造が既存のシステムに適合しているかどうかが集約的に表れている。→ 巨額の債務を恒常的に抱え込んでいる(※1000兆円!)ということは、すでに日本の経済・社会構造が資本主義システムには不適合であることの証…。
・確かに日本は、1000兆円の国家債務に対して、民間にはそれに匹敵する個人資産がある。…その意味では、借金の担保はあるが(※このことを「日本は大丈夫」という根拠にする経済専門家はけっこういる…)、国家の債務を民間資産で相殺するようなことになれば、国家に対する信用は崩壊してしまう。(※確かに…)
・資本主義を乗り越えるために日本がすべきことは、景気優先の成長主義(※世の論調はほとんどこれ…)から脱して、新しいシステムを構築すること。…新しいシステムの具体像が見えないとき、財政でなすべきことは、均衡させておくこと。→ 実際に新しいシステムの方向性が見えてきたときに、巨額の赤字を抱えていたのでは、次の一歩が踏み出せないから。…それは単に増税・歳出カットで財政均衡を図ればいいということではなく、社会補償も含めてゼロ成長でも維持可能な財政制度を設計しなければいけない、ということ。
・そしてもう一つは、エネルギー問題の解消。→ 新興国の成長によって、世界的にはエネルギー多消費型の経済になり、資源価格が企業の収益をこれまで以上に圧迫するようになる。(前回で触れたように)現在のデフレは交易条件の悪化によってもたらされているものであり、これを放置したままではゼロ成長どころか、極端なマイナス成長にもなりかねない。→ 従って、名目GDPを定常状態で維持するためには、国内で安いエネルギーを自給することが必要。
・「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまうが、そうではない。→ いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、それを食い止める前向きな指針が「脱成長」なのだ。

【4章】西欧の終焉

○欧州危機が告げる本当の危機とは?

・ギリシャの財政崩壊に端を発する欧州危機は、他の国にも波及して、なかなか解決の糸口が見えない(国債金利の高騰、金融機関の破綻、高い若年失業率など)。→ ユーロ加盟国(とくにその中核であるドイツ)が、ギリシャを見捨てなかった理由は、ユーロは経済同盟というよりも政治同盟であり、最終的にはドイツ第四帝国の性格を強めていくから。→ このことを見逃しては、欧州危機の本質は理解できない。
・重要なのは、この欧州危機が単なる経済危機ではなく、西洋文明の根幹に関わる問題である、と認識すること。→ 今、欧州を襲っている危機は、リーマンショックをはるかに超える「歴史の危機」であり、近代資本主義の危機がますます深化していることを告げているだけでなく、西欧文明そのものの「終焉の始まり」である可能性すらある。

○英米「資本」帝国と独仏「領土」帝国

・そもそもEU(欧州連合)とは何か。…このことは、「海の国」である米英と対比すると明確になる。→ (前回述べたように)1974年から始まる利子率・利潤率の低下に対して、アメリカは、ITと結びついた「電子・金融空間」を創出することによって、新たな利潤の獲得を図った。…すなわち、金融のグローバリゼーションを通じて、各国に金融の自由化を求め、世界の金融資本市場で創出されたマネーを吸い上げ、金融帝国=「資本」として君臨しようとした。
・この段階に突入してからは、資本と国家の関係が非常に大きな変化を遂げた。→ IT技術の進化によって、資本は国境を自由に移動できるようになったから、資本としては国家の制約から極力自由になりたい。→ アメリカは、国民国家から「資本」が主役となった帝国システムへと変貌していった(※資本と国民との分離・乖離…)。
・「海の国」である英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(政治的に領土を直接支配することなく)資本を「蒐集(コレクション)」していった点。←→ 一方、「陸の国」である独仏は、(英米のような「資本」帝国への道は選ばず)ヨーロッパ統合という理念にもとづいた「領土」の帝国化へと向かう(もちろん独仏も銀行は金融空間のプレイヤーになるが、アメリカのようには政治と経済は一体化していない)。←→ 英米の場合、市場を支配することが政治そのものと言える。→ だからウォール街とホワイトハウスは表裏一体の関係にある。
・この海と陸の概念を使って、EUの基本的性格を説明すれば、「陸の国」である独仏の「領土」帝国ということ。→ 独仏が手を携えて、単一ユーロを導入し、共同市場を拡大させていく。→ そのプロセスの中で(国民国家は徐々に鳴りを潜め)、ヨーロッパはユーロ帝国という性格が色濃くなっていく。…従って、(ドイツ銀行がいくら「電子・金融空間」で稼いでも)ベルリン政府の最大の関心事はヨーロッパの「領土」帝国化にある。(※う~ん、これが誇り高きイギリスがユーロを使用しない理由なのか…?)

○新中世主義の躓き

・こうした独仏の「領土」帝国という観点から見たとき、欧州危機はどのように読み解けるか……シュミットは『陸と海と』の中で、世界史とは「陸と海のたたかい」である、と述べている。→ 近代ヨーロッパの歴史の最も重要なターニング・ポイントは、16世紀~17世紀の「海の国」イギリス(英国教会)と「陸の国」スペイン(ローマ・カトリック)との戦争だった。…当時のスペインは、陸地の領土にもとづいた帝国で、ローマ・カトリックの権威と帝国の軍事力(権力)によって中世の社会秩序の中心にあった。←→ スペインに対抗した新興国のイギリスは、海洋貿易(市場)を通じて(領土から自由な)海の空間を制覇することで、新たな覇権国家になった。…つまり近代とは、「海の国」が「陸の国」に勝利することで幕が開いた時代。
・しかし現在の状況は、「海の国」であるアメリカの覇権体制が崩壊し、EU、中国、ロシアといった「陸の国」が台頭しつつある(中国、ロシアは、まだ国内の近代化や経済発展の余地が残されている新興国)。→ しかし問題なのは、世界経済の主軸のEU、その中心である独仏。…ドイツもフランスも、すでに近代化のピークを越え、脱近代に足を一歩踏み入れている先進国。→ このような国が、再び「海の国」に抗って台頭していこうとしたときに、取りうる選択肢が「ユーロ帝国」だった。…そして、この帝国構築への道のりは、近代の主権国家システムを超えていく方向性を持っていたかのように見えた。(※国家を開く=国家を超えたインターナショナリズム…?)
・その方向性とは、ヘドリー・ブル(国際政治学者)が主権国家システムを超える形態の一つとして指摘した「新中世主義」というもの。…ブルは『国際社会論』の中で、主権国家システムを超える形態として、次の五つを挙げている。

①システムであるが社会ではない。…〔複数の主権国家は存在するが、国際社会が構成されていないような状態。つまり、主権国家間がホッブズの言う自然状態、闘争状態の関係になっている。〕(※戦国時代のような状態の国際版…?)

②国家の集合であるがシステムではない。…〔主権国家が相互に関係をもたない状態。保護主義に近い。〕(※アメリカのモンロー主義のようなもの?)

③世界政府……〔世界が単一の独裁政府となること。〕(※中国のような国家が世界を支配するようなイメージ…?)

④新中世主義……〔キリスト教的価値観に支配された中世の神聖ローマ帝国のように、共通の価値観にもとづいて成立する普遍的な政治組織のもとで、複数の国家や地域の権威が重層的に折り重なっているような秩序のこと。(現在のEUに近い)〕→ ユーロ帝国というのは、「新中世主義」という主権国家システムを超える萌芽を宿している。

⑤非歴史的選択肢……〔これまでの過去からは全く考えられないような形態のこと。〕

・これらの形態のうち、①と③には、現実性はない。…②は、国によっては実現可能性はある。ex. EUは域内でエネルギーと食糧を互いに融通することができ、保護主義でもやっていける。←→ しかし、小国や日本のような国の場合は、没交渉の世界を生き抜くことはできない(※江戸時代なら成り立っていたが、現在では不可能ということ?)。
・だからこそ、④の「新中世主義」の可能性が、世界に先駆けてユーロ帝国で試されてきた。→ しかし、それが今、独仏が「蒐集」したはずのギリシャなど南欧諸国の思わぬ反乱にあっている。…それが今回の欧州危機の深刻さの表れなのだ。
(※う~ん、この項は、テーマが大き過ぎて分かりづらいのだが、これからの〝未来〟を考える上では、非常に興味深いものがあると思われる…詳細はP141~145)

○欧州危機がリーマン・ショックよりも深刻である理由

・主権国家システムが支持されるのは、それが国民にも富を分配する機能をもつからだった。…近代初期の絶対王政では資本と国家は一体化しているものの、まだ国民は登場していなかった。→ その後、市民革命を経て、資本主義と民主主義が一体化する。…主権在民の時代となり、国民が中産階級化していく。…このように資本主義と民主主義が一体化したからこそ、主権国家システムは維持されてきた。
・しかし、グローバル化した世界経済では、国民国家は資本に振り回され、国民が資本の使用人のような役割をさせられることになってしまっている。…巨大な資本の動きに対して、国民国家ではもはや対応できない。→ そこで、「国民」という枠組みを取り払って国家を大きくすることによってグローバリゼーションに対応しようとしたのがEU方式だと言うことができる。(※なるほど、この項は分かりやすい…)
・ブルの新中世主義を経済的な側面から見るなら、成果を総取りするグローバル資本主義に対する対抗策として考えることができる。…しかしながら、EUでさえ結局は資本の論理に巻き込まれてしまう。→ (社会学者ベックの鋭い指摘)…「富者と銀行には国家社会主義(※保護主義)で臨むが、中間層と貧者には新自由主義(※自己責任)で臨む」「25歳以下のヨーロッパ人のほぼ4人に1人に職がない。また多くの人々が期間の限定された低賃金労働契約に基づいて働いている。アイルランドやイタリアでは25歳以下の約3分の1が失業していると公表され、ギリシャやスペインでは若年の失業率は、2012年6月には53%に達している」→ つまり、近代資本主義の限界を乗り越える試みであったEUでさえ、資本の論理を乗り越えることはできていないのだ。
・このように、ユーロが舵を切ったかに思われた「新中世主義」が行き詰っているという事態は、文明史的にリーマンショックよりもはるかに深刻な意味を帯びている。…リーマンショックだけなら、近代の限界(つまり16世紀のイギリスから始まった「海の時代」が、アメリカへと引き継がれ、それが崩壊の兆しを見せている)ということ。→ しかし、EUの新中世主義が行き詰っているということは、海の国の衰退(近代の限界)に加えて、古代ローマ帝国から連綿と続いてきた「蒐集」が止まることを意味。…それはヨーロッパの死を意味することにほかならない(詳細はP148)。(※この「蒐集」という概念も分かりにくい。典拠は『蒐集』ジョン・エルスナー 研究社1998 らしいが、5千円もする大著で未読…)
・海の時代とともに始まった近代資本主義は、マネーを「蒐集」するためのもっとも効率のいい仕組みだった。…英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(領土を直接支配することなく)資本を「蒐集」していった点。←→ 資本主義が成立する以前の古代、中世の時代では、利益を「蒐集」するためには、領土を拡大しないといけなかった。…しかし、それにはコストがかかる。→ そこで英米は、海洋空間を支配し、そしてその空間がベトナム戦争で広がらなくなると、「電子・金融空間」を支配することでマネーを「蒐集」することに向かったのだが、リーマンショックは、そうした「近代の帝国」の没落を示唆する出来事だった。←→ 一方、EUが向かっている帝国とは、「近代の帝国」という範疇では理解できない。…なぜなら、ユーロ帝国は、資本にも軍事にも依存せず、「理念」によって領土を「蒐集」する帝国だから。(※う~ん、その「理念」とは…?)

○それでもドイツは「蒐集」をやめない

・ドイツは、そう簡単にギリシャを見捨てることはしないだろう。なぜなら、ギリシャがユーロ帝国から離脱すれば、独仏帝国の理念とも言える領土の「蒐集」という運動が停止してしまうから。→ それはEUの自己否定になるから、「西洋の没落」から「西洋の終焉」へと向かうことになる。
・政治的な駆け引きはあるにせよ、危機に陥ったユーロ圏の国々は救済されている。…結局、ドイツがそれらの諸国を救済せざるを得ないのは、ヨーロッパの理念である「蒐集」をやめることができないから。…従って、「ユーロは財政的に統一ができていないから、破綻するのは当然だ」という批判は、表層的なように思える。
・独仏が目指す領土空間の「蒐集」とは、ヨーロッパの政治統合。…マーストリヒト条約(後述)の果たした役割は、「経済連合」の性格が強かったECを、政治統合であるEUへと変えたこと。…1990年に東西ドイツが統合したとき、東独マルクと西独マルクは(実質レートでは10倍くらい違っていたが)一対一のレートで通貨統合した(西ドイツは大損)。…これも(経済的な損得勘定よりも)政治的な理念を優先させたことの証左。

○古代から続く「欧州統一」というイデオロギー

・ユーロ共同債で一本化するという財政統合を実現するためには、ギリシャ、スペイン、イタリアに緊縮経済を迫って、金利を安定させる必要がある。→ 結局、領土の「蒐集」を目指すドイツは、ある程度経済的なリスクを負っても、財政統合に向かうはず。…その段階で、近代的な主権国家の影はますます薄くなり、カール大帝以来のヨーロッパの政治的統一が現実味を帯びてくる。
・「ヨーロッパ」はいつ誕生したか…(歴史家たちの説)「ローマ帝国が崩壊したときヨーロッパが出現した」、「ローマ帝国に異民族が侵入してきたときからヨーロッパが歴史的存在となった」→「異民族がローマ風の贅沢で身を包むには、代償としてローマ人に奴隷を供給しなくてはならなかった」→ そのためには、「内部の不平等を増大させるか(※格差社会?)、異邦人(※移民?)を隷属させること」しかなかった(現代とも似ている…?)。……つまり、ヨーロッパの誕生それ自体が、奴隷を「蒐集」しなければ成立しえなかった。しかも、より贅沢な生活をするには、常に「異邦人」をたくさん「蒐集」しなければいけなかった。(※う~ん、日本の〝外国人技能実習制度〟も同じようなもの…?)
・スペイン国王で神聖ローマ皇帝でもあったハプスブルク家のカール五世は、オスマン帝国に対抗すべく、ヨーロッパの統一を図ろうとした。→ 近代のヨーロッパを振り返ってみても、ナポレオンの第一帝政、ナチス・ドイツもまたヨーロッパの統一を目指すものだった。
・ヴィクトル・ユゴーのヨーロッパ合衆国構想(1849年)…「(ヨーロッパ)大陸のすべての国がそれぞれの特質と栄光ある個性とを失うことなしにより次元の高い一体性を確立し、ヨーロッパが兄弟愛の絆で結ばれる日が必ず到来します」(※文学者らしい文章か…)→ ユゴーの合衆国構想は、100年を経たのち、少しずつ現実化していく。…第二次世界大戦後の1952年に、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)→ 1967年には(EUの前身である)ヨーロッパ共同体(EC)が発足。→ 1992年、マーストリヒト条約が調印され、統一通貨導入を決め、欧州連合(EU)を創設。→ 2002年、念願の単一通貨「ユーロ」誕生 → 21世紀に入ってから、東欧や旧ソ連領などの国がEUに加わり、(当初6ヵ国だった)加盟国は現在28ヵ国にまで拡大。…こうして、独仏政治同盟は着々と「領土」の「蒐集」を続けてきた。(※う~ん、今の「ウクライナ紛争」も、この流れか…? 「ヨーロッパの拡大」に対するロシアの抵抗…)

○資本主義の起源から「過剰」は内蔵されていた

・しかし、(先述したように)独仏の「領土帝国」も、英米の「資本帝国」同様、限界に近づいている(※ウクライナ紛争の〝泥沼化〟は、その象徴…?)。→ 現代の世界で起きている「帝国」化とは、「蒐集」の終着地点。…2001年の9・11同時多発テロ、2008年の9・15のリーマン・ショック、2011年の3・11の大震災がもたらした原発事故、さらに現在の欧州危機は、いずれも過剰な「蒐集」がもたらした問題群。
・9・11…アメリカ金融帝国が第三世界から富を「蒐集」することに対する反抗(※今の「イスラム国」の反乱もこの流れか…)。9・15…過剰にマネーを「蒐集」しようとした「電子・金融空間」が、自らのレバレッジの重みに耐え切れず自滅した結果、起きたこと。3・11…資源の高騰に対して、安価なエネルギーを「蒐集」しようとして起きた出来事(※原発は安価ではなかった…)。そして、欧州危機…独仏同盟による領土の「蒐集」が招き寄せた危機…。
・古代から続く「蒐集」の歴史の中で、最も効率的にそれをおこなってきた資本主義が、今や機能不全を起こしており、これ以上の過剰な「蒐集」をおこなおうとすれば、それは再び深い傷跡を地球上に残すことになるだろう。…資本主義がこのような「過剰」に行き着くのは、その起源に原因があると考える。
・資本主義の始まりには、次の三つの説がある。

①12~13世紀説…利子の成立を資本主義が始まる根拠とする。

②15~16世紀説…(シュミットが言う)「海賊資本主義」を国家がおこなったこと。

③18世紀説…産業革命が資本主義を始動させるメルクマール。

→ この中で、①の12~13世紀のイタリア・フィレンツェに資本主義の萌芽を認めることに説得力を感じている。この時期に、資本主義の勃興期を象徴する二つの出来事があったから。

(1)「利子」が事実上、容認されるようになったこと。…本来キリスト教では金利を受け取ることは禁止されていた(中世後期から「高利貸し」が禁止されていた)。→ しかし、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活全般に浸透するようになると、イタリア・フィレンツェに資本家が登場し、金融が発達し始める(メディチ家のような銀行は為替レートを利用してこっそりと利子を取っていた)。…利子とは時間に値段をつけること。→ 従って、利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を、人間が奪い取ることに他ならない。→ そして1215年に、おかしな理屈で利子が事実上、容認された。(詳細はP157~158)

(2) 12世紀にイタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ帝国から大学として認められたこと。…中世では「知」も神の所有物だったが、ボローニャ大学の公認は、広く知識を普及することを意味。→ いわば「知」を神から人間に移転させる端緒が、ボローニャ大学
の公認だった。(※今は逆に、大学は資本の下僕に成り下がろうとしている…? ex.〝就活〟のための大学…)

○人類史上「蒐集」にもっとも適したシステム

・このように見るならば、12~13世紀から(「長い16世紀」の起点である)15世紀までが資本主義の懐妊期間と位置づけられるのではないか。→ そして「時間」と「知」の所有の交代劇は、「長い16世紀」に「海賊資本主義」と「出版資本主義」という形で結実する。
・「時間」の所有すなわち利潤の追求については、16~17世紀に、海賊国家ともいえるイギリスが「海」という新しい空間を独占することによって、途上国の資源をタダ同然で手に入れることのできる「実物投資空間」を拡大させていった。…一方、「知」の所有については、宗教改革でラテン語から俗語への交代劇を実現(ラテン語は聖職者と一部の特権階級が独占していた)。→ 俗語が主役になることで、「出版資本主義」が成立していった(後述)。
・この「時間」と「知」に対する飽くなき所有欲は、ヨーロッパの本質的な理念である「蒐集」によって駆動されている。→「蒐集」は西欧の歴史において最も重要な概念。…「社会秩序それ自体が本質的に蒐集的」であり、支配層にとって社会秩序維持(※支配構造の安定化)に勝るものはないから、最優先されるべきは「蒐集」ということになる。(※う~ん、やはりこの「蒐集」という概念が難しい…。アジアには希薄ということか…?)
・「ノアの方舟のノアがコレクター第1号」…キリスト教誕生以来、キリスト教は霊魂を → 資本主義以前の帝国システムにおいては、軍事力を通じて領土(すなわち農産物)を → そして資本主義は市場を通じて物質的なもの(最終的には利潤)を「蒐集」する。…ノアから歴史が始まったキリスト教社会にとって、資本主義は必然的にたどり着く先だった。→ そして、資本主義とは人類史上「蒐集」に最も適したシステムだったからこそ、中世半ばになってローマ教会は「利子」や「知識の開放」など、(本来禁じていたことを)認めるようになった。(※う~ん、当方、キリスト教の素養がないので理解が難しい…。『蒐集』も未読だし…)

○「中心/周辺」構造の末路

・こうした「蒐集」の概念は、「中心/周辺」という枠組みとも関わっている。この枠組みは、中世の帝国システムでも近代の国民国家システムでも基本的に変わらない。その時々で「蒐集」に最も適したシステムを選択してきたのが西欧。→ とりわけ「蒐集」に抜群の効力を発揮する資本主義を西欧は発見し、さらに効率よく「蒐集」をおこなう「海の国」が覇権国家であり続けた。
・また資本主義といっても、その時代に応じて、中身は異なる。…(資本主義が勃興する時代には)重商主義 →(自国の工業力が他国を圧倒するようになると)自由貿易を主張 →(他国が経済的に追随して自国を脅かすようになると)植民地主義に代わり →(IT技術と金融自由化が行き渡ると)グローバリゼーションを推進した。
・しかし、国民国家システムでは権力の源泉が民主主義にあり、帝国システムでは軍事力を独占する皇帝にあるという違いはあるが、「中心/周辺」もしくは「中心/地方」という分割のもとで、富を中央に集中させる「蒐集」のシステムであるという点では共通している。⇒ そして、この「蒐集」のシステムから卒業しない限り、金融危機や原発事故のような形で、巨大な危機が再び訪れることになるだろう。
〔※事故の原因や責任などの真の検証や、万一の過酷事故に対する(納得できる)対応策、また本当に原発は必要なのかなどの、本質論を置き去りにしたまま、原発再稼働が強行されようとしている事態……結局、「資本の論理」を優先する限り、何も変わらない、ということか…〕
・「蒐集」をやめるということは、そう簡単ではない。→ しかしながら、先進国がこぞってこれから長い超低金利時代を迎えることが予想されるのだから、これまで以上に「蒐集」が困難になることも真実。……そのとき、先進国はどちらの方向に舵を切るのか。
・ブルが掲げた五つの選択肢の中で、5番目の「非歴史的選択肢」(ブル自身もその内容を説明していない)…それが何であるかに強く心を惹かれている。→ EUが向かってきた新中世主義も足を引っ張られている今、この5番目の選択肢にしか、近代を超える可能性はないのかもしれない。

【5章】資本主義はいかにして終わるのか

○資本主義の終焉

・資本主義は実際にいかにして「終焉」に向かっていくのか。「終焉」の後にはどのようなシステムが待ち受けているのか(本章のテーマ)。
・資本主義の性格は、時代によって、重商主義 → 自由貿易主義 → 帝国主義 → 植民地主義…と変化してきた。→ IT技術が飛躍的に進歩し、金融の自由化が行き渡った21世紀には、グローバリゼーションこそが資本主義の動脈といえる。⇒ しかし、どの時代にあっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることには変わりない。
・21世紀のグローバリゼーションによって、経済的な意味での国境の壁は限りなく低くなり、今まで先進国が独占してきた富が、途上国にも分配され、(一見すると)格差は縮小してきたようにも見える(実際、先進国と新興国の平均所得の格差は縮小している)。
・けれども、グローバリゼーションをそのように捉えている限り、現在起きている現象の本質に迫ることはできない。→ 資本主義と結びついたグローバリゼーションは、必ずや別の「周辺」を生み出すから。…つまり、グローバル資本主義とは、国家の内側にある社会の均質性(※ex.1億総中流)を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出していくシステムといえる。(※参考…堤未果の著作群…)

○近代の定員15%ルール

・そもそも資本主義自体、その誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムだった。…(P167に高所得国の人口シェアのグラフ)→ ヨーロッパのためのグローバリゼーションの時代である1870年~2001年は、地球の全人口のうちの約15%が豊かな生活を享受することができた(この15%は、ヨーロッパ的資本主義を採用した国々で、当然アメリカや日本も含まれている)。…日本が「一億総中流」を実現できたのもこの時代。
・しかし逆に言うと、このグラフは、世界総人口のうち豊かになれる上限定員は15%前後であることを物語っている(※ここ130年の統計的事実…)。→ つまり20世紀までの130年間は、先進国の15%の人々が、残りの85%(※後進国)から資源を安く輸入して、その利益を享受してきた。…このように歴史を振り返れば、資本主義は決して世界のすべての人を豊かにできる仕組みではないことは明らか。
・現在進行中の21世紀のグローバリゼーションに、この15%という定員の上限説を適用するとどうなるか。…20世紀までの資本主義は、資源がタダ同然で手に入るという前提のもとで、先進国が富を総取りしていた。←→ 一方、全地球が均質化(※グローバリゼーション)する現代では、新興国や途上国の57億人全員が資本主義の恩恵を受けるチャンスがあるという「建前」(※実際は自己努力/自己責任)で進んでいるが、それでは「安く仕入れて高く売る」という近代資本主義の成立条件は崩壊する。→ 全員がグローバリゼーションで豊かになる、というのは「建前」で、実際には安く仕入れる先(※フロンティア)はほとんど残されていない。
・それでも資本主義は資本が自己増殖するプロセスだから、利潤を求めて新たな「周辺」を生み出そうとする。しかし、現代の先進国にはもう海外に「周辺」はない。→ そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしている。…その象徴的な例が、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和。→ サブプライム・ローンでは「国内の低所得者」(周辺)を無理やり創出して、彼らに住宅ローンを貸しつけ、それを証券化することでウォール街(中心)が利益を独占していた(※自動車ローンでも同様のことが行なわれていた…詳細は「震災レポート22」)。→ 日本では、労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた(社会保険や福利厚生の)コストを利益にする。……アメリカや日本に限らず、今や世界のあらゆる国で格差が拡大しているのは、グローバル資本主義が必然的にもたらす状況だといえる。〔※こうした事実を隠蔽するために、資本側は(政治家・官僚・専門家・マスメディアも取り込み)様々なイデオロギー(プロパガンダ)を総動員する…〕

○ブレーキ役が資本主義を延命させた

・むき出しの資本主義のもとでは、少数の者が利益を独占してしまう。…現在の新自由主義者が唱えている規制緩和とは、要するに一部の強者が利潤を独占することが目的だからそのような政策(※TPPも?)を推進していけば、国境を越える巨額の資本や超グローバル企業だけが勝者(※15%)となり、ドメスティックな企業(※円安の被害…)や中流階級(※リストラ・賃金減…)はこぞって敗者に転落していくに違いない。(※日本の近未来…?)
・あらかじめ富める人の定員は15%しかないのが資本主義だが、曲がりなりにも今日まで存続してきたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけた経済学者・思想家がいたから。…アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズらが近代の偉大なブレーキ役だった(詳細はP169)。→ そういう意味では、資本主義というものは、誰かブレーキ役がいないとうまく機能せず、その強欲さゆえに資本主義は自己破壊を起こしてしまうものなのだ。
・マルクスのブレーキは、19世紀半ばからソビエト連邦解体までは効き目があった。…その上、1929年に世界が大恐慌に直面すると、ケインズ主義が暴走する資本主義のブレーキとなり、1972年ぐらいまではもちこたえることができた。→ しかし、オイル・ショックが起き、スタグフレーション(※不況下のインフレ)になって、ケインズ政策の有効性が疑われるようになると、一転してブレーキ役たるケインズが停滞の犯人のようにされてしまった。→ 代わって、あらゆるブレーキを外そうと主張したのが、ミルトン・フリードマンやハイエクが旗振り役となった新自由主義。…21世紀のグローバル資本主義は、その延長上にあるから、いわばブレーキなき資本主義と化している。

○「長期停滞論」では見えない資本主義の危機

・そして、リーマンショックを経て、ようやく新自由主義が唱導するようなブレーキなき資本主義に警鐘を鳴らす声が聞こえるようになってきた。←→ しかし、(リーマンショックというこれほどまでに大きな資本主義の危機を経ても)「金融緩和をおこない、インフレに向かう期待をもたせれば、経済は好転する」というリフレ理論が、経済政策の主導者たちの間では優勢だった。…「株価が上がった」という事実だけを取り上げて、アメリカの量的緩和、日本の異次元緩和は成功していると唱える人々だ。(※黒田・日銀〝異次元緩和〟の第二弾…!)
・(新自由主義も金融緩和も危機脱出の突破口を見出せなくなった現在)→ 需要不足が「長期停滞」の原因との診断で、「ケインズに帰れ」というもう一つの処方箋が提出される。…つまり、積極財政によって国内で需要を創出すれば、経済はもち直すという処方箋。…しかし、ケインズ的な「大きな政府」が成立するのは、資本が国境を越えず、一国の中でマネーの動きを制御できる時代のこと。←→ 国境を越えて資本が自己増殖していくグローバル資本主義のもとでは、ある国家の内側での需要創出を狙うケインズ政策も、焼け石に水程度の効果しかないだろう。(※アベノミクスの第2の矢が、この公共投資を増やす積極財政 → 債務の増大…)
・そして、最も重大なケインズ政策の欠陥は、「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という21世紀のこの時代に、経済成長を目的としている点。→ 成長を目的とする時点で、ケインズ流の「大きな政府」は、あらかじめ失敗を運命づけられている。
・私たちはそろそろ、資本主義が生き延びるという前提で説かれる「長期停滞論」にも決別しなければならない時期に差し掛かっている。…資本の自己増殖と利潤の極大化を求めるために「周辺」を必要とする資本主義は、(暴走するか否か、停滞が長期か短期かにかかわらず)いずれ終焉を迎える。…(すでに説明したように)現代はもう「周辺」が残されていないから。
・おそらく「アフリカのグローバリゼーション」という言葉が囁かれるようになった時点で、資本主義が地球上を覆い尽くす日が遠くないことが明らかになってきた(※中国が、今さかんにアフリカに進出…。そして日本もそれに追随…?)。→ 資本主義が地球上を覆い尽くすということは、地球上のどの場所においても、もはや投資に対してリターンが見込めなくなることを意味。…すなわち地球上が現在の日本のように、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレになる、ということ。→ このような状態では、そもそも資本の自己増殖や利潤の極大化といった概念が無効になるから、近代資本主義が成立する余地はない。…そして、成長を求めれば求めるほど、資本主義の本来もつ矛盾が露呈し、システム転換に伴うダメージや犠牲も大きくなる。(※ハード・ランディングの危険性…)

○「無限」を前提に成り立つ近代

・資本主義のもつ固有の矛盾とは、資本主義の定義自体にある。…資本主義は、資本の自己増殖のプロセスであると定義するのだから、「目標地点」(ゴール)を決めていないということ。→ 16世紀のヨーロッパ人は、(それまでの中世の人とは世界観がまったく異なっていて)眼の前に突如「無限の空間」が現れた(ex. コペルニクスやブルーノなど…詳細はP174~175)。…「無限」だからこそ「過剰」を「過剰」だとは思わないのが、近代の特徴。
・近代社会を経済的側面からみれば資本主義社会であり、政治的側面からみれば民主主義社会。…実は、民主主義も「過剰」をつくり出すシステム。(佐藤文隆『科学と人間』によれば)…民主主義は「大量」の物質を必要とする。…現在の「一部」を将来は「万人」に拡大するという夢の上に科学技術と民主主義は共存している(※世界中のすべての人々が、豊かで健康で文化的な生活を…)。←→ こうした希望が幻想だと分からせたのが、20世紀末から世界を席巻するグローバル資本主義。→ 先進国で貧困問題が深刻化し、また、9・15(リーマンショック)や3・11(福島原発事故)で金融工学や原子力工学が、果たして人々を豊かにするかどうか、疑念が生じた。

○未来からの収奪

・「地理的・物的空間」が消滅してもなお「過剰」を追い求めれば、新しい「空間」をつくることが必要になる。→ それが「電子・金融空間」だった。…前者の空間は、北(先進国)と南(後進国)の間に見えない壁があった。→ グローバル資本主義は、いったんその壁を取り払って、新たに壁を作り直すためのイデオロギーなのだ。
・新しい空間が「電子・金融空間」となれば、この空間に参入できる人はある程度の所得を持っていなければならない。→「努力をした者が報われる」と宣言して、報われなかった者は努力が足りなかったのだ(※自己責任)と納得させることで、先進国内に見えない壁をつくり、下層の人たちから上層部の人たちへ富の移転を図った。→ 収奪の対象は、アメリカであればサブプライム層と呼ばれた人たちだし、EUであれば、ギリシャなどの南欧諸国の人たち、日本の場合は非正規社員…。(※昨今マスメディアでは、「自助努力」とか「自己責任」とかいう言葉が過剰に使われているが、こうした構造の隠蔽のためか…)
・さらにいえば、「電子・金融空間」で収奪するというこの状況下で、我々が成長を追い求めるために行っている経済政策・経済活動は、「未来からの収奪」となっている可能性が大きい。…ケインズ主義者が唱える財政出動も、公共事業にかつてのような乗数効果が見込めない現在にあっては、財政赤字を増加させると同時に、将来の需要を過剰に先取りしている点で、未来からの収奪に他ならない。(※最近よく聞く〝前倒し〟という言葉…)
・金融の世界でも同じ。…1990年代末に世界的な流れとなった時価会計とは、時価の数字がそのまま決算に反映されるシステムなので、「将来、これぐらいの利益を稼ぎ出すだろう」という投資家の期待を織り込んで資産価格が形成されていく。→ そのとき、マーケットというのは、その将来価値を過大に織り込むことで、利益を極大化しようとするから、結果的には、将来の人々が享受すべき利益を先取りしていることになる。(※う~ん、金融は難しい…)
・しかも「電子・金融空間」で時価に対してマーケットが過剰に反応すればするほど、バブルのリスクは高まる。→ 時価会計は、将来の人々の利益を先取りするのみならず、バブルが起きれば、弾けた時に巨額の債務が残る。→ 巨額の税負担という損失も先送りする結果になってしまう(※すでに1000兆円の債務!…詳細はP177~178)。
・経済成長が依存している地球環境でも同じことが言える。…人類は数億年前に堆積した化石燃料を18世紀後半の産業革命以降、わずか2世紀で消費し尽くそうとしている。…「もし我々が、これまでと同様の発想で右肩上がりの豊かさを求めて人間圏を営むとすれば、人間圏の存続時間は100年ほどだろうと考えられる」(松井孝典『地球システムの崩壊』より)→「蒐集」に駆動されて、拡大・成長を追い求めれば、同時代のみならず未来世代からも収奪せざるを得ない。…もはや拡大・成長の余地はないのに、無理やり拡大(※バブル)させれば、風船が弾けるように、収縮が起きる(※バブル崩壊)のは当然。
・ 9・15のリーマンショックは、金融工学によってまやかしの「周辺」をつくり出し、信用力の低い人々の未来を奪った(※自己破産…)。…リスクの高い新技術によって低価格の資源を生み出そうとした原子力発電も(※〝安全神話〟とは経費節約のため?)、3・11で、福島の人々の未来を奪っただけでなく、数万年後の未来にまで放射能という災厄を残してしまった。→ 資本主義は、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食い潰し、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしている。

○バブル多発時代と資本主義の退化

・このように、地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪しているという事態の意味を、我々はもっと深く受け止めるべき。→(経済の「長期停滞」といった次元ではなく)ヨーロッパの理念、近代の理念であった「蒐集」の終焉が近づいている。…従って、資本主義の終焉とは、近代の終わりであると同時に、西欧史の終わりと言っても過言ではない。→ 英米の資本帝国であれ、独仏の領土帝国であれ、全世界の70億人が資本主義のプレーヤーになった時点が、帝国の死を意味するのだ。
・そうすると、私たちが取り組むべき最大の問題は、資本主義をどのように終わらせるかということになる。→ すなわち、現状のごとくむき出しの資本主義を放置した末のハード・ランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけてソフト・ランディングを目指すのか。(※取るべき選択肢としては、後者しかないだろう…)
・むき出しの資本主義の先に待ち受けているもの…おそらくそれは、リーマンショックを凌駕する巨大なバブルの生成と崩壊。→ すでに資本主義は、(永続型資本主義から)バブル清算型資本主義へと変質している。
・本来、資本主義が効率よく実行されているかどうかは資本の利潤率(国債利回り+リスク・プレミアム)で測るものだが、ゼロ金利となった現在、どの実物資産も、リターンは見込めない。→ 代わって株価が資本主義の効率性を測る尺度として登場し、その主戦場は「電子・金融空間」となった。→ その結果、サマーズ(元財務長官)の指摘の通り「3年に1度バブルが起きる」ようになった。→ しかし、バブルは必ず弾けるので、その時点で投資はいったん清算される。…17世紀初頭に誕生した永続資本(株式会社)を原則とする資本主義は、20世紀末に終焉を迎え、一度限りのバブル清算型の資本主義へと大きく退化した。
・永続型資本主義の始まりはオランダ東インド会社であり、それ以前の地中海世界における資本主義は一事業ごとに利益を清算する合資会社による資本主義だった。…当時、資本主義経済はまだ萌芽の段階で、社会全般に浸透していなかったので、一度限りの事業清算型の資本主義で十分こと足りていた。
・13~15世紀の地中海世界の事業清算型資本主義は、失敗すればその責任は資本家のものだった。←→ ところが、21世紀のバブル清算型資本主義になると、利益は少数の資本家に還元される一方で、公的資金の注入などの救済による費用は、税負担という形で広く国民に及ぶ。→ 資本家のモラルという点では、21世紀のバブル清算型資本主義は、事業清算型資本主義と比べて明らかに後退している(※政治家とともに資本家も劣化…)。…人類は「進歩する」という近代の理念も疑ってみる必要がある。

○ハード・ランディング・シナリオ――中国バブル崩壊が世界を揺るがす

・日本の土地バブル、アジア危機、アメリカのネット・バブル、住宅バブル、そしてユーロのバブル…。→ それに続く巨大なバブルは、おそらく中国の過剰バブルになるだろう。…リーマンショック後、政府の主導で大型景気対策として4兆元もの設備投資をおこなったことによって、中国の生産過剰が明らかになりつつある。
・その代表例が粗鋼生産能力(22%ほど生産能力が過剰)→「世界の工場」と言われる中国だが、輸出先の欧米の消費は縮小している(この先、以前のような消費を見込むことは不可能)。(またアジアの中でも中国は、領土問題などを抱え)対アジアの輸出も今後は翳りを見せるだろう。…かといって、中間層による消費がか細い中国では、内需主導に転換することもできない。→ いずれこの過剰な設備投資は回収不能となり、やがてバブルが崩壊する。(※う~ん、かなりはっきりと言い切っている…)
・中国でバブルが崩壊した場合、海外資本・国内資本いずれも海外に逃避していく(※すでに富裕層の海外逃避は始まっている…?)。→ そこで中国は(外貨準備として保有している)アメリカ国債を売る。→ 中国の外貨準備高は世界一だから、その中国がアメリカ国債を手放すならば、ドルの終焉をも招く可能性すらある(※オバマが中国に気をつかうわけ…?)。

○デフレ化する世界

・この中国バブルの崩壊後、新興国も現在の先進国同様、低成長、低金利の経済に変化していく。→ つまり、世界全体のデフレが深刻化、永続化していくということ。(詳細はP183)
・新興国で起きるバブルは、(欧米で起きた資産バブルでなく)日本型の過剰設備バブル。…日本のバブルは国内の過剰貯蓄で生じたのだが、国際資本の完全移動性が実現した21世紀においては、先進国が量的緩和で生み出す過剰マネーが、新興国に(日米欧がなし得なかった)スピードでの近代化を可能にさせている。
・過剰設備バブルは、(資本市場で決まる株価がその崩壊時において急落するのと異なり)崩壊には時間がかかる。→ この崩壊の段階に至って、資本主義はいよいよ歴史の舞台から姿を消していくことになるだろう。…全世界規模で、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが実現して、いやがおうにも定常状態に入らざるを得なくなる。
・もちろん中国バブル崩壊が人々の生活に与える影響は甚大だ。→ その規模はリーマンショックを超えるだろうから、日本においても相当な数の企業が倒産し、賃金も劇的に下がるだろう。→ バブルが弾け、経済が冷え込めば、国家債務は膨れ上がるから、財政破綻に追い込まれる国も出てくる。→ 日本はその筆頭候補だ。(※う~ん、日本は財政破綻の筆頭候補か…)
・これまでの歴史では、国家債務が危機に瀕すると、国家は戦争とインフレで帳消しにしようとした。つまり力づくで「周辺」をつくろうとした(※まさか、アベちゃん、これを狙っているのか…?)。←→ しかし現代の戦争は、(核兵器の使用まで想定されるから)国家間の大規模戦争というカードを切ることはおそらくない。→ けれども、国内では、行き場を失った労働者の抵抗が高まり、内乱の様相を呈するかもしれない。…資本家対労働者の暴力的な闘争、そして資本主義の終焉というマルクスの予言にも似た状況が生まれるのではないか。
・資本主義の暴走に歯止めをかけなければ、このような長期の世界恐慌の状態を経て、世界経済は定常状態(ゼロ成長)へと推移していくことになる。…悲観的な予測になってしまうかもしれないが、いまだに各国が成長教にとらわれている様子を見ると、この最悪のシナリオを選択してしまう可能性を否定しきれない。(※確かに、あの複数の原発が〝暴走〟してしまうのを体験してしまった今、この〝最悪のシナリオ〟が起こらないとは、とても断言できない…)

○ソフト・ランディングへの道を求めて

・このような資本主義のハード・ランディングではなく、資本主義の暴走にブレーキをかけながらソフト・ランディングをする道はあるのだろうか。…現在の国家と資本の関係を考えると、資本主義にとって(資本が国境を容易に越えるときに)国家は足手まといのような存在になっている。→ 今や資本が主人で、国家が使用人のような関係。
・グローバル資本主義の暴走にブレーキをかけるとしたら、それは世界国家のようなものを想定せざるを得ない。…金融機関をはじめとした企業があまりにも巨大であるのに対して、現在の国民国家はあまりにも無力。→ EUは、国家の規模を大きくしてグローバル資本主義に対抗しようとしたが、欧州危機で振り回されているということは、まだサイズが小さいのかもしれない。
・世界国家、世界政府というものが想定しにくい以上、少なくともG20が連帯して、巨大企業に対抗する必要がある。…具体的には法人税の引き下げ競争に歯止めをかけたり(※安倍政権は逆に〝法人税の引き下げ競争〟に加担…)、国際的な金融取引に課税するトービン税のような仕組みを導入したりする。→ そこで徴収した税金は、食糧危機や環境危機が起きている地域に還元することで、国境を越えた分配機能をもたせるようにする。
・G20で世界GDPの86.8%を占めるから、G20で合意できれば、巨大企業に対抗することも可能。…マルクスの『共産党宣言』とは真逆に、現在は万国の資本家だけが団結して、国家も労働者も団結できずにいる状態(※確かに…)。→ 労働者が連帯するのは現実的に難しい以上、国家が団結しなければ、資本主義にブレーキをかけることはできない。(※ここではまったく国連には言及されていないが、今の国連はそれほど機能不全に陥っているのか…?)

○「定常状態」とはどのような社会か

・未だ資本主義の次なるシステムが見えていない以上、このように資本の暴走を食い止めながら、資本主義のソフト・ランディングを模索することが、現状では最優先されなければならない。→ いわば、資本主義にできる限りブレーキをかけて延命させることで、ポスト近代に備える準備を整える時間を確保することができる。
・(資本主義の先にあるシステムを明確に描くことは、今はできないが)その大きな手がかりとして、現代の我々が直面している「定常状態」についてここで考えていく。…「定常状態」とはゼロ成長社会と同義であり、それは人類の歴史の上では珍しい状態ではない。〔P189の図より〕…1人当たりのGDPがゼロ成長を脱したのは16世紀以降(中世→近代)のことで、この後の人類史(21世紀以降~)でゼロ成長が永続化する可能性もある。
・経済的には、ゼロ成長というのは純投資がないということ。つまり、減価償却の範囲内だけの投資しか起きない。…家計でいうなら、自動車を(増やさずに)乗り潰した時点で買い替えるということ。→ 従って、買い替えだけが基本的には経済の循環をつくっていくことになる(少子高齢化で人口減少していけば、車の台数も減っていく)。→ そこで人口が9000万人程度で横ばいになれば、定常状態になる。…つまり、買い替えサイクルだけで生産と消費が循環していき、多少の増減はあってもおおむね一定の台数で推移していくということ。
・ただ15世紀までの中世は、10年、20年単位でみれば定常であっても、短期間では非常にアップダウンの激しい経済だった。←→ 21世紀の「定常」は中世とは異なって、毎年の変動率が小さいという点でずっと望ましい。(ただし、金融政策や財政政策で余計なことをしないという前提の上でのことだが…詳細はP188~190)

○日本が定常状態を維持するための条件

・この定常状態の維持を実現できるアドバンテージ(有利な立場)を持っているのが、世界で最も早くゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレに突入した日本。…現在の日本は、定常状態の必要条件を満たしている状態として考えることができるが、ゼロ金利だけでは十分ではない。→ 国が巨額の債務を抱えていては、ゼロ成長下では税負担だけが高まる(債務の返済)ことになるから、基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を均衡させておく必要がある。
・日本は現在、ストックとして1000兆円の借金があり、フローでは毎年40兆円の財政赤字をつくっている。…GDPに対する債務残高が2倍を超えるほどの赤字国家なのに、なぜ破綻しないのか…。→ そのカラクリは、〔フローの資金繰り〕…現在の金融機関は、マネー・ストックとしてある800兆円の預金が年3%、約24兆円ずつ増えている。さらに企業が1999年以降、恒常的に資金余剰の状態が定着しており、1年間の資金余剰は23.3兆円(2013年)にも達している。…つまり、家計部門と企業部門を合わせた資金余剰は約48兆円(対GDPで10.1%)と高水準を維持している。→ これで、銀行や生保などの金融機関を通して、毎年40兆円発行される国債(※国の借金)が消化できているというわけ。…一方、ストックの1000兆円の借金については、民間の実物資産や個人の金融資産がそれを大きく上回っているため、市場からの信頼を失わずに済んでいる。(※なるほど…)
・しかし、こうした辻褄合わせがいつまでも続くわけがない。→ 現在同様に毎年40兆~50兆円の財政赤字を重ねていれば、(銀行のマネー・ストックが純減したときなど)いずれ国内の資金だけでは、国債の消化ができなくなる。→ 日銀の試算では、2017年には預金の増加が終わると予測されていて、そうなると外国人に国債の購入を頼らざるを得なくなる。→ しかし、外国人は他国の国債金利と比較するから、金利の動きも不安定化する。…現実的には金利は上昇するだろう。→ 金利が上昇すれば利払いが膨らむから、日本の財政はあっという間にクラッシュしてしまう。…それでは、資本主義からのソフト・ランディングも道半ばで挫折してしまう。⇒ そうならないために、財政を均衡させなければならない。(※説得力あり…)

○国債=「日本株式会社」会員権

・すると、現在の1000兆円の借金はどうすればいいか。→ 借金1000兆円は債券ではなく、「日本株式会社」の会員権への出資だと考えたほうがいい。…国民は銀行や生命保険会社にお金を預け、そのお金が結局、国債購入に使われる。→ だから国民の預金は、間接的に国債を購入していることと同じ意味を持っている。…その国債がゼロ金利ということは、配当がないということ。それでも、日本の中で豊かな生活サービスを享受できる。→ その出資金が1000兆円なんだと発想転換したほうがいい。(※う~ん、この考え方だと日本で生活していくなら〝外貨預金〟などするべきではないということか? 富裕層はしっかりやってるらしいが…)
・そう考えた上で、借り換えを続けて1000兆円で固定したままにしておくことが重要。→ 現在は、歳出90兆円に対して、40~50兆円の税収しかないから、放っておけば、借金は1100兆円、1200兆円とどんどん膨らんでいく。→ そうなったら、日本だけでは国債を消化できず、外国人に買ってもらわなければならない。…でも外国人には日本国債は(会員権ではなく)金融商品にすぎないから、ゼロ金利では承知してもらえず(※そりゃそうだ…)、金利は上がることになる。→ それでは財政破綻は免れることはできない。
・今は増え続けている預金も、2017年あたりを境に減少に転じると予想されている。→ おそらく今後は、団塊世代が貯蓄を取り崩したり(※すでに取り崩している…)、相続世代が貯蓄にお金を回さない(※確かに余裕なさそう…)ことで、減少圧力は少しずつ強まっていく。→ そう考えると、残された時間はあと3,4年しかない。…その間に、基礎的財政収支を均衡させることが日本の喫緊の課題なのだ。(※う~ん、あと3,4年というのは、相当厳しい…)
・財政均衡を実現する上で、増税はやむを得ない。→ 消費税も最終的には20%近くの税率にせざるを得ないだろう(※う~ん、やはり他の先進国並の税率が必要なのか…)。→ しかし、問題は法人税や金融資産課税を増税して、持てる者により負担をしてもらうべきなのに、逆累進性の強い消費税ばかり議論されているところ。←→ 法人税に至っては、財界は下げろの一点張り。→ 法人税を下げたところで、利益は資本家が独占してしまい、賃金には反映されないのだから、国家の財政を健全にして、分配の機能を強めていくことのほうが、多くの人々に益をもたらすはず。〔※消費税については、やはり最終的には他の先進国並の税率が必要になるが、その前に資本側や富裕層を優遇している税制を見直すべき…ということか。…法人税についても、日本の場合は、免税特例が多数あり(政治家や官僚の利権の温床?)、実際の税率は公式の数字(現在は約35%)よりかなり低くなっているらしい…東京新聞2014.11.11より〕

○エネルギー問題という難問

・定常状態を実現するためのもう一つの難問は、エネルギー問題。…新興国が成長するほど、世界はエネルギー多消費型の経済に傾いていくから、資源価格はつり上がっていく。→ 名目GDPは定常にならず、減っていってしまう。
・定常状態を実現するためには、①人口減少を9000万人あたりで横ばいにすること、②安いエネルギーを国内でつくって、原油価格の影響を受けないこと…が重要になる(太陽光だと1kwhあたり20円以下でつくることができれば、名目GDPの減少は止まるはず…詳細P195)。
・「財政の健全化は景気の足を引っ張る」などというような、この1年、2年の次元の問題ではなく(※日本はこの次元の話ばかり…)次の新しいシステムに移行するときに、財政の健全化はまずクリアーしておくべき条件であり、それができなければ新しい時代を迎える資格はない。

○ゼロ成長維持すら困難な時代

・多くの人は、ゼロ成長というと非常に後ろ向きで、何もしないことのように考えがちだが、それは大きな誤解。…1000兆円の借金も高騰する資源価格も、それを放置したままではマイナス成長になってしまう。→ マイナス成長社会は、最終的には貧困社会にしかならない。←→ ゼロ成長の維持には、成長の誘惑を断って借金を均衡させ、さらに人口問題、エネルギー問題、格差問題など、様々な問題に対処していくには、(旧態依然の金融緩和や積極財政に比べて)高度な構想力が必要とされる。
・新自由主義者やリフレ論者たちは、せっかくゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレという定常状態を迎える資格が整っているというのに、今なお近代資本主義にしがみついており、それが結果として多大な犠牲とともに資本主義の死亡を早めてしまう(※ハード・ランディング)ことに気づかない。→ 何度も繰り返すように、成長主義から脱却しない限り、日本の沈没は避けることができない。

○アドバンテージを無効にする日本の現状

・定常状態への大きなアドバンテージ(有利な立場)があるにもかかわらず、成長主義にとらわれた政策を続けてしまったために、日本国内もグローバル資本主義の猛威にさらされ続けている。〔P197の図より〕…金融資産ゼロ(2人以上の世帯)…1987年3.3% → 2013年31.0%(1963年の調査以来の最高値)。…つまり、バブルが崩壊し、新自由主義的な政策が取られていく過程で、無産階級が3.3% → 31% へと跳ね上がったわけ。
・日本の利子率は世界で最も低く、史上に例を見ないほど長期にわたって超低金利の時代が続いている。…利子率が最も低いということは、資本が最も過剰にあることと同義。→ もはや投資をしても、それに見合うだけのリターンを得ることができないという意味では、資本主義の成熟した姿が現在の日本だと考えることもできる。←→ しかし、その日本で、およそ3割強の世帯が金融資産をまったく持たずにいるという状況が現出している。
・(アベノミクスの浮かれ声とは裏腹に)今なお生活保護世帯や低所得者層も増加傾向のまま。…非正規雇用者数は1906万人(2013年)、年収200万円以下の給与所得者数は1090万人(2012年)、生活保護受給者数も200万人を超えている。⇒ こうした格差拡大の処方箋としては、まず生活保護受給者は働く場所がないわけだから、労働時間の規制を(緩和ではなく)強化して、ワークシェアリングの方向に舵を切らなければならない。
〔※この「ワークシェアリング」については、以前からオランダ方式などのモデルケースも紹介されており、非常に関心を持っていたのだが、なぜか日本ではまともに検討されたことがないよう。やはりこの国は〝資本の論理〟が強すぎるのか…?〕
・日本の年間総実労働時間は、一般(フルタイム)労働者で2030時間(2012年)…これはOECD加盟国の中でも上位に入る長時間労働(サービス残業を含めれば実際はもっと働いている)。⇒ ここにメスを入れて、過剰労働、超過勤務をなくすように規制を強化すれば、単純にその減少分だけでも相当数の雇用が確保されるはず。(※アベノミクスでは真逆に,〝資本の論理〟からの「規制緩和」ばかり。→ この〝長時間労働〟が、日本の〝諸悪の根源〟ではないのか…)
・年収200万円世帯の多くは非正規労働者だろう。彼らは正社員と違って、ボーナスも福利厚生も社会保険もない場合がほとんど。正社員と比較して、二重にも三重にも不安定な境遇に置かれている。→ 非正規という雇用形態には否定的にならざるを得ない。なぜなら、21世紀の資本と労働の力関係は、圧倒的に前者が優位にあって、こうした状況をそのままにして働く人の多様なニーズに応えるというのは幻想と言わざるを得ないから。…結局、労働規制の緩和は資本家の利益のための規制緩和にすぎない。→ 従って、労働規制を強化して、原則的に正社員としての雇用を義務づけるべきだと考える(※そして、その中での多様なワークシェアリングの仕組みの導入を…)。…〔※う~ん、この項は、深く納得…〕

○「長い21世紀」の次に来るシステム

・こうしたグローバル資本主義の負の影響は、先進国のみならず、新興国においては先進国以上のスピードで格差が拡大していくはず。→ そこで危機に瀕するのは、単に経済的な生活水準だけではなく、グローバル資本主義は、社会の基盤である民主主義をも破壊しようとしている。…グローバル資本主義を、単なる経済的事象と捉えていては、事の本質を見誤ることになる。
・市民革命以後、資本主義と民主主義が両輪となって、主権国家システムを発展させてきた。…民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持するということ。→ しかし、(2章でも触れたように)1999年以降、企業の利益と所得とは分離していく(※資本側の完勝)。←→ 政府はそれを食い止めるどころか、新自由主義的な政策を推し進めることで、中産階級の没落を加速させていった。→ その結果、超資本主義の勝利は(間接的、そして無意識のうちに)民主主義の衰退を招くことになってしまった…(ライシュ『暴走する資本主義』より)。
・同様に、国家が資本の使用人になってしまっている状況は(※TPP交渉の秘密主義もその現れ…?)、国民国家の存在意義にも疑問符を突きつけている。→ 詰まるところ、18世紀から築き上げてきた市民社会、民主主義、国民主権という理念までもが、グローバル資本主義に蹂躙されているのだ。…そして当の資本主義そのものも、無理な延命策によってむしろ崩壊スピードを速めてしまっているありさまだ。
・かつて政治・経済・社会体制がこぞって危機に瀕したのが「長い16世紀」だった。→ ジェノヴァの「利子率革命」は、中世の荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へとシステムを一変させた。そして、「長い16世紀」の資本主義勃興の過程は、中世の「帝国」システム解体と近代国民国家の創設のプロセスでもあった。→ このプロセスを通じて、中世社会の飽和状態を打ち破る新たなシステムとして、近代の資本主義と国民国家が登場した。
・この「長い16世紀」と、1970年代から今に続く「長い21世紀」…どちらの時代も、超低金利のもとで投資機会が失われていく時代だが…「長い16世紀」はそれを契機として政治・経済・社会体制が大転換を遂げた。→ だとするなら、「長い21世紀」においても、近代資本主義・主権国家システムはいずれ別のシステムへと転換せざるを得ない。
・しかし、それがどのようなものかを人類はいまだ見出せていない。→ そうである以上、資本主義とも主権国家ともしばらくの間はつきあっていかなければならない。…資本主義の凶暴性に比べれば、市民社会や国民主権、民主主義といった理念は、軽々と手放すにはもったいないものだ(実際、今すぐに革命や戦争を起こして市民社会を倒すべきだと主張する人はほとんどいないはず)。…もちろん民主主義の空洞化は進んでいる(※安倍政権もそれに加担…)。しかし、その機能不全を引き起こしているものが資本主義だとすれば、現在取りうる選択肢は、グローバル資本主義にブレーキをかけることしかない。
・ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ…この三点が定常状態への必要条件と言ったが、しかし、成長教信者はこの三点を一刻も早く脱却すべきものと捉える。→ そこで金融緩和や積極財政が実施されるが、日本の過去が実証しているように、お金をジャブジャブと流し込んでも、三点の趨勢は変わらない。…ゼロ金利は、財政を均衡させ、資本主義を飼い慣らすサインであるのに、それと逆行してインフレ目標や成長戦略に猛進するのは(※アベノミクス)、薬物中毒のごとく自らの体を蝕んでいくだけ。

○情報の独占への異議申し立て

・「長い16世紀」と「長い21世紀」にはもう一つのおおきな類似点がある。…政治や経済、社会システムが不調なときには、誰が情報を握るのかという争いが起きる〔※安倍政権は今のところこの情報戦に成功しているように見える(→ 不可解な高い支持率)…読売・産経や電通の功績?〕。…(4章で少し触れたが)中世の地中海世界における特権階級はラテン語を読み書きできる人々であり、主に教会に従事する人たちだった。←→ それに対して,(ローマから見て)「周辺」の地であるドイツ,オランダ,フランスの人々は、財産権も行政権も司法権もない状況だった。→ そこでプロテスタント側が、俺たちに財産権や司法権、裁判権をよこせと、いわば独立運動を起こした。
・「長い16世紀」の資本主義最大の産業は出版業界…それは当初、ラテン語陣営に属していたが、ラテン語の聖書はすでに飽和状態だった(特権階級はみんなラテン語の聖書は持っていた)。→ そこで出版業界がプロテスタント陣営について、ルターの教えを大量に印刷してヨーロッパ中に売ったために、ドイツ語や英語はラテン語に勝ったわけ(※出版業界というのはどの時代でも日和見か…?)。…従って、「長い16世紀」の宗教改革は、ドイツ語,フランス語,英語で話す人たちが、ラテン語を使う特権階級の人たちから情報を奪い取る情報戦争として位置づけることができる。→ その結果、情報は中世社会に比べてはるかに広範囲に、早く伝わって、市場を通じた支配の礎となった。(※「長い21世紀」の情報戦争も、すでに始まっている…)
・ここで重要なのは、「情報革命」と「利子率革命」が同時進行するのは必然であるということ。…つまり、ある空間の政治・経済・社会体制が安定しているときは、情報を独占している人間に対して反旗を翻すことはないのだが → それが不安定化して、富の偏在があらわになると、同時に情報は誰のものかが問い直される(※確かに、日本でも今、マスメディアに対する批判など、「情報は誰のものか」が問い直され始めている気配…)。→ 「長い16世紀」では地中海の中心に富が集中していたので、「周辺」であるドイツから反抗の狼煙が上がった。
・一方現代でも、歴史の危機を告げ知らせるかのように、情報の主導権をめぐる争いが起きている。(1章でも触れたが)それを象徴するのがスノーデン事件。…英米の資本帝国で、1%対99%という富の偏在が明らかになった今、政治・経済・社会体制に対して人々の大きな不安が渦巻いている。…アメリカなどの情報収集活動について内部告発したスノーデンはいわば、その不安の象徴的人物といえる。(※日本の大手メディアがスノーデン氏には批判的だったという印象があるが、それはメディアの多数がいまだ権力側に属している、ということか…?)
・ルターは、「周辺」からローマ・カトリック教会の情報操作を批判した(詳細はP205)。同様に、スノーデンも国家の情報管理の秘密を暴いた。…このスノーデン事件は、特権者のカラクリの存在を明らかにした点で、まさにルターに通じている。
・しかしルターが、聖書をドイツ語に翻訳し、1%の特権階級が独占していた情報を、99%の一般の人々に開放することで、国民国家という次なるシステムへの端緒を切り開いたのに対し、スノーデンひとりによる内部告発からはまだ新たなシステムの誕生の予兆は感じられない。…それはおそらく、「長い21世紀」がまだ混迷が続き、新たなシステムの萌芽が見えるまでに時間がかかることを意味している。

○脱成長という成長

・(4章で述べたように)12~13世紀に、過剰な金利(リスク性資本)が誕生したところに資本主義の原型があった。資本の自己増殖ということを考えると、利子率こそが資本主義の中核にあるものだから。…当の合資会社は、一つの事業が終了すると、そこで利益を出資者に配分して、会社は解散する。いわば一回限りの資本主義といえる。→ それが「長い16世紀」になると、「空間革命」が起きて、利潤を得る場が一気に世界へと広がっていった。…そこで資本家も事業を広範囲かつ持続的に行なって利潤を増やしていくようになり(ex.東インド会社)、永続型の資本主義へと転換していった。←→ そしてまた、再び資本主義が「バブル清算型」という永続性なき資本主義へ先祖返りしている(※退化…)。…これは偶然ではなく、すでに「周辺」が存在しない世界では、永続的な資本主義は不可能なのだ。
・誕生時から過剰利潤を求めた資本主義は、欠陥のある仕組みだったとそろそろ認めるほうがいいのではないか。…これまでダンテやシェイクスピア、あるいはアダム・スミス、マルクス、ケインズといった偉大な思想家たちがその欠陥を是正しようと命がけでたたかってきたから、資本主義は8世紀にわたって支持され、先進国に限れば豊かな社会を築いてきた。←→ しかし、もはや地球上に「周辺」はなく、無理やり「周辺」を求めれば、中産階級を没落させ、民主主義の土壌を腐敗させることにしかならない資本主義は、静かに終末期に入ってもらう(※ソフト・ランディング)べきだろう。
・ゼロインフレとは、今必要でないものは、値上がりがないのだから購入する必要がないということ。つまり、消費するかどうかの決定は消費者にある。…豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」(ミヒャエル・エンデ)と定義すれば、ゼロ金利・ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができる。
・そのためには、「より速く、より遠くへ、より合理的に」(※オリンピックの標語みたいだ…)という近代資本主義を駆動させてきた理念もまた逆回転させ、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」(※「里山資本主義」に通じる…)と転じなければならない。
・その先にどのようなシステムをつくるべきかは、私自身にもわからない。…定常状態のイメージを語ったものの、それを支える政治体制や思想、文化の明確な姿は、21世紀のホッブズやデカルトを待たなければならないだろう。⇒ しかし、「歴史の危機」である現在を、どのように生きるかによって、危機がもたらす犠牲は大きく異なってくる。…私たちは今まさに「脱成長という成長」を本気で考えなければならない時期を迎えているのだ。

【おわりに】豊かさを取り戻すために

・日本の10年国債利回りが2%を下回った1997年(北海道拓殖銀行や山一證券が破綻し、日本の金融システムが大きく揺らぎ始めた年)…ちょうどその頃、私は証券会社のエコノミストとしてマクロ経済の調査に明け暮れていた。…当初は、景気の低迷によって一時的に利回りが落ち込んだのではないかと考えていたが、その後も一向に2%を超えない。→ 景気が回復しても、国債の利回りだけは2%を超えない。
・一体なぜ、超低金利がこれほど長く続くのか。→ その謎を考え続けていた時、歴史の中に日本と同じように超低金利の時代があることに気づいた。それが「長い16世紀」のイタリア・ジェノヴァで起きた「利子率革命」。…それは、中世封建制の終焉と近代の幕開けを告げる兆候だった。→ だとすれば、日本で続く超低金利は、近代資本主義の終焉のサインなのではないか。…そんな仮説を携えて、「長い16世紀」と現代とを比較してみると、単なる偶然では片付けられない相似性が次々と見つかった。
・以来、利子率の推移に着目して、世界経済史を見つめ続けてきたが、その結果、資本主義の起源もまた、ローマ教会が上限33%の利子率を容認した1215年あたりに求められることに思い至った。…ここで重要なのは、不確実なものに貸付をするときも利息をつけてよい、と認められたこと。つまり、リスク性資本の誕生。…これが資本主義誕生の大きな契機となった。→ そして資本は自己増殖を続け、「長い16世紀」を経て、資本主義は発展してきた。
・マックス・ウェーバーは、資本主義の倫理をプロテスタントの「禁欲」主義に求めたが、「禁欲」した結果として蓄積された資本を、再投資によって新たな資本を生み出すために使うのが資本主義(※資本の自己増殖)。…つまり、「禁欲」と「強欲」はコインの裏表なのだ。
・しかし、(本編で既述したように)こうした資本の自己増殖が臨界点に達し(利潤率ゼロがそのサイン)、資本主義は終焉期に入っている。→ この「歴史の危機」を直視して、資本主義からのソフト・ランディングを求めるのか、それとも「強欲」資本主義をさらに純化させて成長にしがみつくのか。
・後者の先にあるのは、破局的なバブル崩壊というハード・ランディングであるにもかかわらず、先進諸国は今なお成長の病に取り憑かれてしまっている。→ その代償は、遠くない将来、経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機という形で顕在化してくるだろう(※その兆しはすでに現れている…)。…それまでに日本は、新しいシステム、定常化社会への準備を始めなければならない。
・私がイメージする定常化社会、ゼロ成長社会は、貧困化社会とは異なる。→ 拡大再生産のために「禁欲」し、余剰をストックし続けることに固執しない社会。…資本の蓄積と増殖のための「強欲」な資本主義を手放すことによって、人々の豊かさを取り戻すプロセスでもある。……日本がどのような資本主義の終焉を迎え、「歴史の危機」を乗り越えるのかは、私たちの選択にかかっている。

                                    (11/20 了)        



〔「震災レポート・拡張編」もちょうど10回目で(「震災レポート」は通算で30回)、内容的にも、一区切りがついた気がしている。…そんな時に、藪から棒に「解散・総選挙」というニュースが飛び込んできた。…この国の政治・経済・社会状況は、一区切りつくどころか、ますます混迷の度を深めているように見える。…そんな「長い21世紀」という試練の時を、この水野氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」という羅針盤を参考にして、今後も(ちょっと一休みしてから)この「震災レポート」を続けていきたいと思います。〕
                                         

◎ 参考に、「震災レポート・拡張編」(1)~(10)(「震災レポート」21~30)のラインアップを挙げておきます。  ⇒ (「震災レポート」①~⑳ のラインアップは、⑳の巻末にあります。)

【 「震災レポート・拡張編」 (1)~(10)(「震災レポート」21~30) ラインアップ 】

(1)[経済論①]…『デフレの正体』藻谷浩介(角川oneテーマ21)2010.6.10

(2)[経済論②]…『里山資本主義』藻谷浩介+NHK広島取材班――[前編]
                     (角川oneテーマ21)2013.7.10

(3)[経済論③]…『里山資本主義』――[後編]

(4)[農業論①]…『キレイゴトぬきの農業論』久松達央(新潮新書)2013.9.20

(5)[農業論②]…『日本農業への正しい絶望法』神門善久――[前編]
                          (新潮新書)2012.9.20

(6)[農業論③]…『日本農業への正しい絶望法』――[後編]

(7)[農業論④]…『野菜が壊れる』新留勝行(集英社新書)2008.11.19

(8)[農業論⑤]…『土の学校』木村秋則 石川拓治 幻冬舎2013.5.30

(9)[脱成長論①]…『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫――[前編]
                          (集英社新書)2014.3.19

(10)[脱成長論②]…『資本主義の終焉と歴史の危機』――[後編]
                             (2014年11月20日)
       






                        

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