2014年10月1日水曜日

『土の学校』 木村秋則 石川拓治


(震災レポート28) 震災レポート・拡張編(8)―[農業論 ⑤]

                   中島暁夫


 ちょっと寄り道のつもりだった「農業論」が、5回目になってしまった。最後はやはり、農業というものの面白さと奥の深さに気づかせてくれた、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんを取り上げたい。今回も、かなりの数にのぼるその著作の中から、何を選ぶか、かなり悩んだのだが、結局、比較的最近出された次の本を取り上げることにしました。(さらに興味のある方は、巻末に参考資料を記したので、そちらも参照されたい。)


                                         
『土の学校』 木村秋則 石川拓治
          幻冬舎 2013.5.30

                                         
〔木村秋則:1949年青森県弘前市生まれ。(株)木村興農社代表。…妻が農薬に弱かったことをきっかけに、無農薬のリンゴ栽培を始める。10年近くにわたる無収穫・無収入の日々を経て、絶対不可能といわれた、農薬も肥料も使わないリンゴ栽培に成功。2006年、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し、大反響を呼ぶ。半生を描いた『奇跡のリンゴ』(石川拓治著)はベストセラーとなり、映画にもなった。現在は独自の農法「自然栽培」を広めるため、国内外で指導にあたる。〕

〔本書は、木村秋則が話した内容を、ノンフィクションライターの石川拓治がまとめたもの。〕


【はじめに】

・「なはなじょして、諦めね?」(お前はどうして諦めないんだ?)…よく、そう聞かれたものです。…だけど、山ほどあった理由の中で、なんだか怒られそうな気がして、人にはあまり言ってこなかった答えがあります。畑が面白かったのです。

・いや、もちろん畑はひどい有様でした。農薬抜きでリンゴを育ててみようだなんて、バカなことを考えたばっかりに、害虫だの病気だのが蔓延して、私のリンゴ畑は枯れ木の山みたいになっていました。何年もそういうことが続いていました。今でもあの時代のことを思い出すと、気持ちが塞ぎます。けれど、それでも、畑には面白いことがたくさんあったのです。肝心のリンゴはひとつも実っていないのに。
・私は青森県弘前市に住むリンゴ農家です。木村秋則と言います。岩木山の麓の農園で、20代の頃からかれこれ40年リンゴを育ててきました。最初は私も、誰にも負けないくらいたくさんの農薬と肥料を使って、大きなピカピカのリンゴを育てていたのです。ところが無謀にもリンゴの無農薬栽培に挑んだばっかりに、病気と害虫が蔓延し、リンゴの木は秋になる前に葉をほとんど失いました。
・農薬を使わなくなってからの最初の約10年間は、私の畑のリンゴの木は花を咲かせることさえできなくなりました。…リンゴ畑は荒れ果て、家計は火の車、周囲には大変な苦労をかけ続けでした。…その当時、リンゴの無農薬栽培は絶対不可能と言われていました。甘くて大きな現代のリンゴは、農薬や化学肥料を使うことを前提に品種改良されているようなものだからです。
・無農薬リンゴの作り方なんて本は、図書館や書店をどれだけ探してもありませんでした。何もかもが、私には未知の経験でした。毎日のように、畑では不思議なことが起きました。…生まれたばかりの赤ん坊のように、自分を取り囲むすべてのものを、私は夢中で見て、聞いて、匂って、触り続けました。ない知恵を絞って、考え続けました。来る日も来る日も、リンゴの木を、畑の草を、虫を、空を、土を、見つめ続けました。…そうやって農薬を使わずにリンゴを育てる方法を、答えを探し続けるしかありませんでした。
・その間に、自然はたくさんのことを教えてくれました。たとえば、山の草と畑の草はどう違うか。どの草が美味しくて、どの草が不味いか。…季節によって草の味が変わることを知ったのも、リンゴの葉を食べる害虫は平和な優しい顔をしているのに、その害虫を食べてくれる益虫が怪獣みたいに恐い顔をしているのを知ったのも、あの頃のことです。…学校で学んだことの何十倍も、何百倍も大切なことを、私はあの畑で学んだのです。
・月明かりの下、山の土を掘り返したあの夜(※絶望のあまり岩木山中で自殺を試みた夜)が、今思えば大人になった私の2回目の入学式でした。…その土こそが、私の学校でした。その土が、不可能を可能にする方法を教えてくれたのです。土の中では、今このときにも、私たち人間には想像もつかないたくさんの不思議なことが起きているのです。…その秘密を、これからみなさんにお話しするとしましょう。

1.土は何から作られているか?

・自分がいつも踏みしめている土が、どうやってできるか…、それを考えるようになったのは、山の土がふかふかで柔らかいことを知った、あの不思議な夜からでした。…この山の土こそが答えなのだと知って、それから私は毎日のように、土を観察するために、山にかよいました。
・私は周りの木々を見上げました。毎年毎年、この木々が落とした枯れ葉が、森の底に降り積もっていたのです。…森の土は、落ち葉が姿を変えたものでした。いや、落ち葉だけではなく、キノコやカビや、いろんな草もそこに生えていたし、昆虫だのミミズだのも、目に見えないほど小さな微生物も、私が掘っていった枯れ葉の中にも混ざっていたことでしょう。鳥や狸や熊だって、そこで死ねばいつかはこの葉と同じようにバラバラになって、分解されて土へと化していくのです。(※人間もそうだった…)
・枯れ葉の底の土は、ほんとうにふかふかと柔らかくて、ツンと鼻を刺激する、独特のなんとも言えない清々しい匂いがしました。その匂いの元が何かはわからなかったけれど、スーパーの袋にその土を詰めて持ち帰りました。畑の土と匂いを比べてみようと思ったのです。
・比べてみるまでもありませんでした。私の畑の土は、そんな匂いはまったくしなかった。…図書館で調べたら、匂いの元はどうやら放線菌というバクテリアの一種で、森の土作りには欠かせない生き物だということがわかりました。土とは、そこに棲む生きとし生けるものすべての命の営みによって作られているものなのです。(放線菌:カビ様の微生物で、糸状の菌糸が放射状に伸びる細菌)

2.ひと握りの土の中には何匹の微生物がいるか?

・この答えは、正確を期するなら、「わからない」が正しい。①土とひとくちに言っても、場所によって生き物の数がぜんぜん違う、②今までそんなものをきちんと数えた人はいない。…最近読んだ本には、ひとつかみのよく肥えた土には、なんと1000億という単位の細菌が生息していると書いてありました。また別の細菌学者が書いた本によれば、この地球上のすべての細菌の重さを合わせると、全人類の体重の合計の2000倍を超えるのだそう…しかも、その細菌の大半は土の中にいるらしい。
・昔、ある企業の研究所で、当時はまだ珍しかった電子顕微鏡で、土の中に棲んでいる微生物を覗いたことがある(無肥料・無農薬の私の畑は、研究者たちにとっては宝の山らしく、いろんな分野の学者の先生や企業の研究員がよく訪ねてくる。普通の畑にはいるはずのない昆虫、菌類、バクテリアだのが、私の畑では見つかるから)。…そこには、信じられないような世界が広がっていたのです。海底のアンコウのように、他の微生物をおびき寄せて食べる微生物までいました。ジャングルや海の底と同じように、そこにも食うモノと食われるモノの繰り広げる世界があったのです。…その小さな生き物たちにとって、ひと握りの土はまさしく自分たちの生きる世界であり、宇宙であるわけです。

3.土は汚い?

・最近の都会では、一日に一回も土を見ずに暮らすことが普通になったと聞きます。もしも子供が泥だらけになって外から帰ってきたら、たいていのお母さんはこう言うと思います。「まあ、汚い。早く手を洗ってらっしゃい」と。…それにしてもずいぶん変わったなあと思います。…昔は毎日のように泥だらけになって遊んでいました。子供が泥だらけで家に帰るのは当たり前だし、それで怒られたことなんてなかった。農作業をしている親たちだって、似たようなもんでした。…土は、言ってみれば生活の一部でした。土を汚いなんて思ったことは一度もありませんでした。
・その土を、汚いと思うようになった頃から、日本の農業は少しずつ変わっていったような気がします。それと同時に、人間は自然から急速に遠ざかり始めたのだと思います。…土を汚いものだと決めつけて、意識から完全に閉め出すような生活をするのは、何かが間違っています。
・人間という動物は地上に出現してから何十万年という歳月を、その両足で土を踏みながら生きてきたのです。そのことだけは、忘れないでほしいのです。みなさんが毎日食べている、お米や野菜も、その土があって初めて育つことができるのですから。…ところで都会に暮らしているみなさんは、自分の足で土を踏んだのはいつのことか思い出せますか? (※う~ん、思い出せない…)

4.良い土と、悪い土をどうやって見分けるか?

・私は百姓でありながら、それまで(死のうと思って岩木山に登った夜まで)まともに土の匂いをかいだことなんてありませんでした。…そこで私は、山の木々には誰も一滴の農薬もかけていないのに、こんなに青々と茂っていることを、不思議だなと思ったのです。
・不思議だなと思いながら、同時にその答えのヒントも見つけていました。それは、私の足の下の、ふかふかの土です。…もしかしたらこの山の土が答えなんじゃないかと思って、夢中で素手で掘りました。そのときツーンとするいい匂いがしたのです。そこで生まれて初めて、あ、土にも匂いがあるんだと思いました。→ そして、この匂いのする土を作ればいいんだという答えに辿り着いたのです。そのときは、理由も何もわかりませんでした。ただ直感的に、そう思ったのです。

5.肥やしは完成すると臭くなくなる

・私が子供の頃、実家には馬がいました。馬を飼うと、大量の汚れた敷き藁が出ます。その敷き藁で堆肥を作りました。親父たちは堆肥ではなく、肥やしと言っていましたけれど。土を肥沃にしてくれるから、肥やしです。…庭の隅に堆肥場を作って敷き藁を積み、残飯や台所から出る野菜の屑なんかもみんなそこに捨てていました。そうやっていろんなものを混ぜ込んで、肥やしにするわけです。
・もっとも藁や野菜屑を、ただ積み上げておけばいいというわけではなく、切り返しをしていました。堆肥の山を掘り返して、堆肥の山の底の方まで空気を送り込む作業です。これを怠ると、良い堆肥ができません。…横でその作業を眺めていると、堆肥からもうもうと湯気が出ていました。堆肥に触ってみると、びっくりするほど熱くなっていました。熱など加えてもいないのに、どうして堆肥はこんなに熱くなるのだろう。
・大人になって知ったことですが、堆肥が熱くなるのは、微生物が藁や野菜屑などの有機物を分解するときに発生する熱のせいです。温度は60度以上にもなりますから、これはかなり熱い。…この微生物の熱を利用して、まだ寒い春先の時期に野菜の苗を作る技術が、すでに江戸時代には完成されていたそうです。落ち葉や藁、米ぬかなどを配合し、畑に掘った穴の中で、その熱を利用して苗を育てていたと聞きました。
・有機物を分解するとき、この微生物たちは大量の酸素を使います(空気を好むということで好気性菌と呼ばれる)。そのため堆肥を積み上げたままにしておくと酸素が欠乏し、今度は酸素を必要としない嫌気性菌が増えてしまいます。そうなると堆肥が悪臭を発するようになって堆肥作りは失敗です。そうならないように、切り返しをして酸素を堆肥の中に送り込むわけです(親父たちはそうした理屈は、まったく知らなかったでしょうが)。
・完全に分解が進んだ堆肥は、あまり臭わなくなります。普通なら臭いものは放っておけばどんどん腐敗し、より臭くなっていくわけです。ところが堆肥は最初はすごく臭いのに、時間が経つと臭いが薄くなっていく。子供の私には、それも不思議でなりませんでした。

6.雑草が邪魔者になったのはなぜか?

・あの時代までの馬は、田や畑を耕したり、荷物を運んだりするのに必要な、今で言えばある種の農業機械でした(もちろん人間と同じ生き物であり、多くの農家にとっては家族のような存在でもありましたが)。…馬の餌は、田んぼの畔に生えている草でした。従って、馬に餌やりすること(私たち子供の仕事だった)は、同時に畔の草刈りをすることでもありました。
・馬を使っていた時代は、田植えのひとつとってみても、たくさんの人手が必要でした。→ それが今では、かなり広大な田んぼでも、下手したら一人で田植えが終わってしまう。…それもこれも、農耕機械のおかげです。もっと言えば、それで農村地帯では私のような次男坊、三男坊の労働力が余って、その労働力が都会へ流れて、現代の日本の社会を支えるようになったわけです。そういう意味では、農耕機械の発達が日本を繁栄させたと言ってもいいでしょう(※木村さん自身も高校卒業後、集団就職で川崎の日立系の子会社で1年半ほど働く)。
・農耕機械が普及し始めると、全国の農家から馬がどんどん姿を消していきました。私の家から馬がいなくなって、耕耘機が入ってきたのは、小学校の高学年くらいだったと思います(耕耘機が面白くて、兄と一緒によく悪戯もしていた)。馬がいなくなったことよりも、耕耘機が来たことの方が、子供の私には強く印象に残ったのでした(※木村さんの機械いじり好きは、半端じゃないよう…)。…そしてこの頃から、田んぼの畦道に除草剤をまくようになったと記憶しています。草を刈って馬の餌にする必要がなくなったからです。→ 草がただの邪魔者になったのです。

7.リンゴの木の守り神とは?

・土の中だけでなく、植物の中にも菌類などの微生物がたくさん棲んでいると教えてくれたのは、弘前大学農学生命科学部の杉山修一教授です。…無農薬・無肥料で、どうして木村の畑のリンゴは育つのか…最初はそれが不思議で、私の畑を見に来たそう。→ そのときからのもう20年近いつきあいで、今や私のリンゴ畑は、畑であると同時に杉山先生の野外研究室になっています。
・私は、肥料も農薬も使わないこの栽培法を「自然栽培」と名づけ、今では求めに応じて全国のあちこちの農家の方に指導しています。私の栽培法では、食酢(ごく弱い殺菌作用あり)を水で200倍とか300倍に薄めたものをリンゴの木に散布します(薄めないとリンゴの葉が酢の酸に負けてしまう)。→ (普通の農園のリンゴの木にかけても、ほとんど効果はないだろうが)雑草を生やし、土を育て、自然の生態系を復活させた私の畑のリンゴの木は、普通の畑のリンゴの木とは比べものにならないくらい長く丈夫な根を張っています。少しくらいの病気なら自分で治してしまうある種の自然治癒力を備えています。だから、ごく薄い食酢でもタイミングよく散布すれば、病気を防げるのです。
・けれど、それがなかなか信じてもらえませんでした(食酢を散布するくらいで、リンゴが育つはずがない…)。その頃は杉山先生のように、実際に私の畑を調べてみようという科学者は少数派だった。→ 杉山先生は、私の畑の微生物に注目しました。そして私の畑に通っては、あっちこっちからいろんなものを採取して研究を始めたのです。…おかげで私の畑の土壌やリンゴの木には、他の普通の畑よりも遥かにたくさんの微生物が棲んでいるらしいことが分かってきました。その研究は今も継続中です。〔※杉山教授の専門家としての見解は、『リンゴの絆』(巻末参考資料④)P105~114 及び『木村秋則と自然栽培の世界』(同⑤)P56~63 参照〕

8.土の温度を測るわけ

・山の土と私の畑の土がどう違うのか…ツンと鼻を刺激する匂いと、もう一つの違いは温度でした。→ 山の土は掘っても掘っても温かいのに、畑の土は掘っていくと温度が急激に下がってしまう……10センチ掘っただけで6~8度も温度が下がった畑もありました。どうして温度がこんなに違うのか。不思議だなあと思いました。
・山の土が温かいのは、おそらく微生物の働きです。そこに微生物がたくさんいて活発に活動(落ち葉や枯草などの有機物を分解)しているから温かい。←→ 畑の土の温度が低いのは、その反対に微生物の活動が鈍っているせいじゃないか。→ その後、図書館に籠もって本を調べたり、杉山先生のような人に話を聞いたりして、まさにその通りだと確信するようになりました。
・人間のお腹の中に膨大な量の腸内細菌がいたり、植物の中に内生菌(病気を起こさずに植物の体内に棲んでいる微生物)が生息していたりするように、土の中にもたくさんの微生物が存在し働いているのです。…そういう意味では、土も生きているのだと私は思います。土の温度を測るのは、土の命を確かめるためなのです。

9.山のタンポポはなぜ大きい?

・私のリンゴ畑では、ほとんど草刈りをしません。雑草は生やしたままにする。それが私の栽培法の特徴です。どうして、そんなことをするのか。
・土を調べるために毎日のように畑と山を往復していたら、山のタンポポの方が、私の畑のタンポポよりもずっと大きいことに気がつきました。→ ふと思いついて、その根っ子を引き抜いて比べてみると、山のタンポポの根っ子は太く、長く、そしてひげ根もたくさん張っていました(私の畑のタンポポの根っ子はかわいそうなくらい貧弱でした)。
・その頃はまだ私は自分の畑に、鶏糞から作った堆肥をたっぷりと与えていました(弱ったリンゴの木になんとか養分を送りたかったから)。…肥料をたっぷり与えた私の畑のタンポポは貧弱で、肥料なんて誰も与えていない山のタンポポはこんなにも立派に育っている…。→ 肥料はあげない方がいいんじゃないかなと、そのとき思いました。肥料を施すことよりも、私の畑の土で、微生物が活発に働けるようにしてやらねばいけません。しかし、いったいどうやって。
・雑草です。…山奥のその場所も、草が生え放題に生えていました。←→ 私は畑を、高校球児の頭のように、いつだって綺麗に刈り込んでいました。草は畑の作物の競争者だとばかり思っていたけれど、そうではなく、一緒に生きる仲間だと考えるべきだったのです。→ こうして私は、新しい栽培方針を決めました。肥料はやらない。草も刈らない。
・それは考えてみれば、無農薬栽培を試すきっかけになった、福岡正信さんの本にも書いてあったことです(自然農法の提唱者である福岡さんについては、後の頁でもう一度触れる)。…あの最初のときに、福岡さんの本から私がしっかり受け取ることができたのは、今思えば農薬を施さなくても作物は育つのだというメッセージだけだった。…農業の常識が私の心と体に染み込んでいて、そんなに簡単に覆せるものではなかったのです。
・断崖絶壁に追い詰められて、死ぬ覚悟までして、やっと答えが見え始めたときに、山のタンポポと畑のタンポポの違いに気づいて、そこでようやく私は目が覚めたのです。→ 明日から、私の畑にも草を生やそう。肥料を与えるのはもうやめよう。そう心に決めました。…「この畑のタンポポが、山のタンポポと変わらないくらい大きく育つようになったら、きっとリンゴの花も咲くよ」、そう妻に言ったことを憶えています。

10.山の土は肥えていない?

・山の土で作物を育てればいいんじゃないか…。ところが実際に試してみると(稲やリンゴなど)、思ったほど上手くいきませんでした。→ この実験でわかったのは、山の土なら何でもいいわけではないということ。…リンゴの苗木が枯れたのは、その山奥の土が、私の植えたリンゴの苗木を受け入れなかったということなのでしょう。
・山の土の中には、膨大な量の微生物が生きています。けれど、それは肥料をたくさん施したいわゆる〝栄養たっぷり〟の土とは違う。→ 農業の教科書に出てくる肥料の三要素、窒素・リン酸・カリウムの量を実際に調べてみると、山の土には必ずしもすべての養分が、必要なだけ含まれているわけではなかった。今の私の畑も、窒素量は普通の畑よりも多いくらいだけれど、リン酸は不足している(教科書的な肥料分の意味で言うなら、山の土も、今の私の畑の土も、それほど肥えていないことになる)。←→ にもかかわらず、山の土はたくさんの木々を育て、私の畑のリンゴの木も、毎年驚くくらいたくさんの実りを与えてくれる。これはいったいどうしたことでしょう。

11.植物の成長に肥料は必要か?

・私は小学生の頃、理科の授業で、植物が成長するためには光と肥料が必要だと習ったが、この表現は少しおかしい気がする。→ 人が栽培する作物ならともかく、自然の植物は(肥料もなしに)何億年も昔から生き続けているのだから。
・また、植物が成長するのに必要とされる物質は他にも何種類もあるが、中でも窒素・リン酸・カリウムは植物が使う量も多く、肥料の三要素ということになっている。この三要素のどれ一つでも不足すれば、植物の成長に支障をきたすとされている。……私も長年そう信じていました。だから、農薬の散布をやめてからも、堆肥を畑に施していました。←→ 自然の草木が、肥料なんてひと握りも施されなくても、あんなに元気そうに生い茂っているにもかかわらず、です。…そのことを、ただの一度も不思議とは思わなかったことが、今では不思議でなりません。
〔※前回の新留氏によれば、「窒素・リン酸・カリ」という農業界の呪文は、石油由来の窒素肥料の弊害(虚弱体質のような作物)を減らすために、どうしてもカリウムが必要だったから(見た目だけがっしりした体格になる)。つまり化学肥料時代の〝常識〟でしかない。→ ちなみに植物を育てる栄養のうち、水・二酸化炭素・酸素が93%で、窒素は3%、リンは1%、カリウムは0.3% 。〕

12.土は人間の命をはぐくむ母体

・土は人間の食を生産する母体です。…その土の豊かさは肥料分ではなく、そこで活動している微生物と、植物の関係で決まるのではないか。→ そう考えれば、私の畑のリンゴの木は元気に育っているのに、山に植えたリンゴが枯れた理由も(山の土で作った苗床で、苗が上手く育たなかった理由も)わかります。
・植物にとって土中の微生物は、私たち人間にとっての腸内細菌のようなものではないか。…腸内細菌は何百種類もあるが、どういう細菌がどれくらいいるかは、同じ人間でも大きく違う。→ ex. 海藻の繊維質を消化できる腸内細菌を、日本人の多くは持っているが、欧米人はほとんど持っていないと聞いた。…肥満になりやすい体質の人は、ある種の腸内細菌が少ないことも、最近の研究でわかったそう。→ 同じ人間でもそうなのだから、たとえば人間の腸内細菌と、コアラの腸内細菌をそっくり入れ替えたら、おそらくコアラは死んでしまう(ユーカリの葉には毒があって、普通の動物は食べない。コアラはユーカリの葉を、腸内細菌の力で発酵させ、毒を分解し、消化している)。⇒ 山にリンゴの苗木を植えたのは、おそらくそれに類する行為だったのではないか。(※植物と土中細菌とのミスマッチ…)
・土の中の微生物と、上手く共生することができて初めて、植物はそこで生きていくことを許される。そしていったんその土地に受入れられれば、土中のバクテリアは植物が生きていくのに欠かせない栄養を与えてくれさえする。…つまり、土中細菌には、その土に欠けている養分を補って、植物の成長を助ける働きがあるのではないか。そして植物の側はお返しに、光合成で作った炭水化物を土中細菌に与える(※これは前回勉強した)。
・豆類の根につく菌根菌(※根粒菌?)は、空気中の窒素を植物が利用しやすい形に換えてため込む。土中からリン酸を集めて、植物に送る菌根菌(アーバスキュラー)もいる。この菌は、さらに植物を乾燥に強くしたり、耐病性を高める働きもするそう。→ そういう土壌細菌の存在を忘れて、単純に土壌を分析し、この土地は窒素分が多いとか、リン酸分が少ないとか言っても、あまり意味がないのではないか。(※重要なのは、植物と土壌細菌との共生関係…)
・土は生きているのです。それは、無数の微生物の生命活動が織りなすひとつの生態系なのです。そういう土の持つ力は、そこに含まれている養分を分析するだけでは、とても理解しきれるものではありません。〔※現代農業は、これらの微生物を殺菌(土壌消毒)してしまう…〕

13.畑の草は7回変わった

・草刈りを一切やめた私のリンゴ畑は、瞬く間にジャングルのようになり、一時は草が私の肩の高さまで伸びてしまいました。→ 季節にもよりますが、現在の私の畑は、昔のように雑草がはびこっているわけではありません。今では年に2~3回は草を刈っているということもありますが、何よりも畑に生える草の様子が、リンゴの花が初めて咲いた頃とは、完全に別物になってしまったから。…特に草刈りをやめた最初の頃は、毎年劇的に大きく変わっていきました。去年生えていた草と、今年は生えている草が、まったく違うというようなことが何年も続いたのです。少なくとも7回、草たちの姿が大きく変わりました。
・今でも少しずつ畑に生える草の様子は変化し続けていますが、あの頃のようなドラマティックな変化はありません。さすがに他の普通の畑に比べれば、草の種類と量は多いけれど、もはやジャングルではありません。→ 草たちがこれだけ変わったからには、土中細菌の様相も大きく変わったに違いありません。

14.なぜ大豆を植えるのか

・草刈りをやめてから最初の5年間はリンゴ畑に大豆を播きました。雑草のかわりにしようと思ったのと、大豆の根っ子につく根粒菌が土に養分を供給してくれる効果を狙ったのです。
・どこからかたくさんやってくる鳩に食べられながらも、毎年大豆を播き続けました。弱っていたリンゴの木が、少しずつ元気になっていったからです。→ リンゴが元気になるのと反対に、大豆の根につく根粒菌の粒が減っていきました。5年目に大豆の根を引き抜いてみると、根粒がほとんどついていなかった。
・このときの経験から、私の自然栽培では畑に大豆を植えるようにしています(P60に図あり)。植物の必要とする窒素分を補給するためです。…窒素そのものは空気中に含まれているが、普通の植物はそのままの形では利用することができない。→ 大豆の根に共生する根粒菌は、その大気中の窒素を植物の利用しやすい化合物(※アンモニア)に変えることができる。…この働きを利用して、土壌に植物の使える窒素分を供給する。(※このメカニズムは前回にも記述…)
・ただし大豆を植えるのは、慣行農法から自然栽培に移行したばかりの最初の何年間かだけです。…私の場合は、5年目に播いた大豆の根っ子に根粒菌の粒がほとんどついていなかったので、窒素がもう土中に行き渡ったサインだと解釈して、それ以降は大豆を播くのをやめました。
・前にも書いたように、土中細菌には足りないものを補う働きがあるんじゃないか。…土の環境が整うと、大豆の根粒菌に頼らなくても、元々そこにいる放線菌などの働きで、必要な窒素が供給されるようになるのではないか。→ 自然の生態系は、そうやって保たれているのではないか。…土にそういう働きがあるから、自然の野山の草木は、誰もひと握りの肥料も施していないのに、元気よく育っているんじゃないのか。→ 人間が生まれる遥か以前から、そうやって植物は微生物と共生しながら、この地球上で繁栄してきたんじゃないでしょうか。
・そういう意味では、自然栽培に移行するときに大豆を播くのは、人間が肥料や農薬によって破壊してしまった土の中の環境を正常に戻すための、緊急手段みたいなもの。→ いったん土の中の微生物たちが正常に働き始めたら、もう大豆を播く必要はないのです。
・あれから20年近く経ちましたが、その後は一度も大豆を播いていません。→ 今私が自然栽培を指導するときは、3年経ったらもう大豆を播くのはやめようと言っています。畑で3年大豆を育てれば、その土には作物たちが健康に育つのに充分なだけの窒素が供給されることがわかってきたから。…これが自然の素晴らしいところです。土中の窒素分が少なければ窒素を補うし、充分になればやめる。自然は無駄なことをしないのです。
・畑には何も施していないのに、私の畑の土に含まれる窒素量は、肥料を施している普通の畑と変わりません。…毎年、リンゴを収穫しているわけだから、従来の農学からすれば、その分の窒素を外から補わない限り、窒素量は減ってしまうはずです。←→ けれど、減っていない。その証拠に、毎年ちゃんとリンゴはなっているし、土の成分を調べてみても、窒素は足りている。→ なぜ足りているのか。それが土の中のバクテリアの働きなのです。
・窒素分が足りなければ、窒素固定をする細菌が優勢になるとか、リン酸が不足すれば、土中からリン酸を集めてくるアーバスキュラー菌根菌が活発になるとか、そういうことが起きる仕組みが、土には備わっているんじゃないのかなと、私は思うのです。

15.目に見えないものを見る方法

・温度計をいつも持ち歩き、いろんな場所で土を掘り、温度を測るようになってわかったことは、土とひとくちに言っても、場所によって性質がかなり違うということでした。…土に含まれる水分量、日当たり、硬い土、柔らかい土…それから、そういう目に見える性質だけでなく、人間の目には見えない性質の違いがあるということに気づいたのです。
・それは、その土の中に生きているバクテリアをはじめとする微生物の違いです。→ そんな目に見えない生き物の違いを見る方法……土を掘って温度を測るのも、その方法の一つだが、もっと簡単かつ明瞭に、土の中の微生物の姿を見せてくれるものは、草です。
・どこにどんな草が生えているか、よく観察すると、同じような条件の場所には、同じような草が生えている。…ex. 水の流れるU字溝のそばには、葉の細いイネに近い仲間の雑草がたくさん生えている。湿気を好む草たちです。…いつも乾いている運動場には、また別の種類の雑草が生えている。
・それぞれの草には、それぞれの好き嫌い(得意不得意)が当然ある。そしてもちろん土中の微生物にも得意不得意がある。…湿気の多い場所を好むバクテリアもいれば、乾燥した土地に勢力を伸ばすバクテリアもいる。→ そしてそれらの微生物と植物は、あるときは協力し合い、あるときはお互いに排除し合ったりしながら生きている。これを共生関係と言います。
・つまり、そこに生えている草の違いは、そこに生息している土中細菌の違いでもあるのです。→ 草はその存在によって、目には見えない土中細菌の姿を私たちに教えてくれているのかもしれません。

16.土の違いを見極める

・基本的に土の違いを考えないのが、現代の科学であり農業。…この土はどんな性質があって、どんな微生物が多いとか考えずに、種を播くわけです。→ それでもやってこられたのは、化学肥料と農薬があったから。
・水はけの悪い場所には、湿気を好む雑草が生える。そこに棲んでいる土中細菌は、乾いた場所の土中細菌とはまた違っているはずです。→ そんな場所に、乾燥を好む野菜を植えたら、生育が悪いのは当たり前だし、病気にもかかりやすくなる。…それで農薬や肥料を使わざるを得なくなる。
・土の個性をよく見極めて、その土地に合った作物を植えれば、少なくとも農薬や肥料の使用量を今よりも減らせることは間違いない。→ 農薬や肥料の使用量を減らせば、環境への負荷も低くできるし、何よりも支出を減らせる。
・土の性格は、その場所によってみんな違う。→ 違いを見極めることが、賢い農業の出発点だと思う。…もっともそんなことは、昔の百姓なら当たり前のことだった。どこにどんな作物を植えるかで、収穫が大きく違ってしまうから。←→ 農薬や化学肥料が広まってからは、そんなことを考える必要がなくなった。…百姓と土との長年にわたるつきあいに、ひびを入れたのが農薬や化学肥料ではないかと思うのです。(※農業の工業化…、マニュアル農業…)

17.虫の気持ちを読む方法

・そうは言っても、私は農薬や肥料を否定するつもりはありません。農家に生まれた人間として、自分の親たちが農薬や化学肥料にどれほど助けられたかを身に染みて知っているから。…私が小学生だった頃、日本の人口の約30%は農家だった。→ それが現在は2% にまで減ってしまった。人の命をつなぐ食の生産を、全人口のたった2%が支えている。98%は食べるだけです(※国内に限定した見方だが…)。しかも、農業人口の6割以上が、今や65歳以上です。→ 農業に携わる人間がこんなにも減り、おまけに高齢化している。それなのに、私たちはいつでも国産の米を食べ、国産の野菜や肉を買うことができる。…それもこれも農薬や化学肥料、農業機械の進歩があったからでしょう。〔※う~ん、これはあくまでリアルな過程のレベルの話ではないか。→ 問題は、このリアルとこれからの〝未来性〟という課題との兼ね合い、せめぎ合い(折り合い)、と思われる。…このことは、原発問題にも重なる課題だろう…〕
・昔は田植えともなれば(手伝いの人も交えて)ちょっとしたお祭りみたいに賑やかだったが、今では広大な面積を老夫婦2人で田植えしてしまう。田の草取りは今の若い人にはとても考えられないような重労働だったが、除草剤がその苦労もまるで魔術のように消し去ってくれたのです。…何よりもこの私自身が、かつては表彰されるくらいたくさんの農薬や化学肥料を使っていた。…あのとき、誰かに農薬と肥料の使用をやめなさいと命じられたら、きっと私は怒ったでしょう。
・農業に限らず仕事というものは、自分の信念と責任においてなすべきもので、他人に後ろから背中を押されながら、いい仕事をすることなんて絶対にできません(※う~ん、今やほとんどの仕事は、他律的な〝不本意な労働〟になっている…?)。ましてや私の提唱する自然栽培は、中途半端な気持ちで取り組めるものではありません。→ 農薬や肥料を使わない分だけ、人間がやらなければならないことはむしろ増える(ex. 虫が大発生したら自分の手で取るしかない)。…そのかわり、何年もそういうことを続けたおかげで、私は虫の気持ちがかなり読めるようになった(ex.こういう天候なら、いつ頃、どこに卵を産むだろうとか、かなりの精度でわかる)。→ おかげで年月が経つにつれ、虫取り作業にかかる時間が減りました。ただ、そこまでになるには、ここには書ききれないほどの苦労を重ねました。…自分が始めたことだからこそできた、心からやりたいという気持ちが必要な、覚悟のいる農業なのです。(※う~ん、自然栽培は、かなりハードルが高い…)
・私の場合は、リンゴの無農薬栽培に成功するまで約10年間(その間ほとんど無収入)かかったが、今だって、それまで農薬や肥料を使っていたリンゴ畑で、無農薬のリンゴを実らせるのは最低でも7年の歳月がかかります(※今でも7年もかかるのか…)。そんなことを、どうして他人に勧めることができるでしょう。
・もちろん、自分からやりたいと志願してくる方には、いくらでもその方法をお教えします。できる限りの応援もします(※このオープンなところも、木村さんの人柄であり、すごいところか…)。…ただしリンゴの場合は、本気で取り組む気があるかを、確認することにしています。7年もの間、無収入に耐えられるか(それだけの経済的な裏づけがあるか)…その人はいいかもしれないけれど、私のように家族を路頭に迷わせかねない可能性もあるから。

18.なぜ野菜より果樹の無農薬栽培は難しいのですか?

・無農薬にすれば、多かれ少なかれ病気や虫の被害が出るが、果樹の場合は今年受けたダメージが、翌年に持ち越される可能性が極めて高いから。…そのダメージが毎年蓄積して樹勢を弱らせ、枯死してしまうようなことも当然起こり得る。→ 果樹で無農薬栽培を試みる場合は、そういうことをすべてシミュレーションして、大丈夫だと確信してから始めるべき。
・そして大切なのは、全部を一度に無農薬にするのではなく、一部から始めて、上手くいったら少しずつ全体に広げていく、ということ。(それで私が地獄のような苦しみを味わったからこそ、慎重にやっていただきたい…)
・でも今は、(そうした試行錯誤のおかげで)どうすればいいかがわかっています。無理をして、何年も無収入の生活に苦しむ必要はない。リンゴだけでなく他の果物でも同じことです。
・今まで日本各地の果樹農家の方に相談を受けて、様々な果物の自然栽培のお手伝いをしてきました。…桃、ブドウ、梨、シュガープルーン、ネクタリン、でこぽん、温州ミカン、甘夏、晩白柚(ばんぺいゆ)、柿、アップルマンゴーにイエローマンゴー、オリーブ…、とにかく私が試した中に、無農薬栽培ができなかった果物はありません(※すごい!)。ただしバナナだけはお断りしました。あまりにも私の知っている果樹とは勝手が違うので、自信がなかったから。
・あくまでもその経験の範囲内ですが、数ある果物の中でも、この日本で作るのがいちばん難しいのは、やはりリンゴだというのが私の結論です。なにしろ今のところ、無農薬に切り替えてから、とりあえずリンゴが収穫できるようになるまでに7年はかかるのだから。(※ということは、他の果物はそんなにかからない…)

19.自然にまかせきりではない農業

・私がリンゴの無農薬栽培に取り組むことになったのは、福岡正信さんの著書を読んだことがきっかけです。福岡さんは、作物を育てるために「何をしなければならないか」ではなく、「何をしなくてもいいか」と考え抜いて、独自の農法を提唱されました。人為(人の行為)をできるだけ排除した、いわゆる自然農法の提唱者の一人です。
・福岡さんの提唱された不耕起、無農薬、無肥料、無除草という考え方が、私の栽培法の出発点になっているだけでなく、リンゴの栽培が上手くいかず、自信を失いかけたとき、福岡さんの本を繰り返し読んで、どれほど勇気をいただいたか…(福岡さんの存在がもしなかったら、あの絶望と戦い続けた10年間を乗りきれたかどうか自信がありません)。
・けれど、私の自然栽培(私が考えた言葉)と福岡さんの自然農法は、(共に自然という言葉を使っているが)ある意味では決定的に違うものです。…私の栽培法は、「何をしなくてもいいか」という考え方には基づいていません。自分なりの栽培法を見つけていく間に、私と福岡さんでは、目的が違うことに気づいたのです。
・(これは私見ですが)福岡さんは、私からすれば哲学者に近い。…科学とは何か、人間とは何か、というような哲学的な問題がまず先にあって、それを考えるために農業という問題に取り組んでいるのではないか。…つまり真理を追究するための、ある意味での道具としての農業です。
・けれど、私はあくまで百姓です。作物を育てて生計を立て、家族を養うことができて初めて百姓だと言える。…身も蓋もないことを言えば、それで家族を食べさせていかなければ、無農薬・無肥料でどんなに素晴らしいリンゴができても意味がない。→ それに家族を養えるだけの収入が得られなければ、この栽培法が世の中に広まるとはとても思えない。…だから自然栽培では、「何もしない」なんてことはありません。

20.病気が広がらない不思議

・健康な植物には、自分の力で病気を治してしまう、ある種の免疫力(※自己治癒力)があるらしいことがわかってきています。…ex. リンゴの木の斑点落葉病(葉に茶色の斑点のような病巣ができ、放置すると、普通はその斑点がどんどん広がって、落葉してしまう。一枚の葉から、周囲の葉に広がっていく恐ろしい病気)…農薬の使用をやめた私の畑のリンゴの木たちは、かつてこの病気にさんざん苦しめられた。→ ところが今の私の畑では、一枚のリンゴの葉にこの病気が出ても、不思議なことにそれ以上は広まらない。葉のその部分だけが乾燥し、病巣ごと落ちてしまうから。まるでリンゴの木が、病気におかされた部分だけを切り取って落としているように見えました。(P81に図有り)
・その後、杉山先生が行った確認の実験(300ヵ所で人工的な病巣を作った)によれば、私の畑のリンゴの葉はほぼすべて、病気におかされた患部だけが枯れて落ちた。←→ けれど、普通のリンゴの葉では、ただ病気が広がっていくだけで、そういう現象は起きなかったのです。

21.おとなしい病原菌

・私が農薬の使用をやめた直後、リンゴ畑で猛威をふるったもう一つの病気に、黒星病があります(黒っぽいススのようなカビが、リンゴの葉や実の表面につく厄介な病気…P83に図)。→ ところが現在の私の畑では、流行のさなかでも斑点落葉病と同じように、この病気におかされた葉はちらほらあっても、それ以上には広がっていかない。
・その理由も、科学的にはまだ充分には解明されていないが、想像はつきます。→ 病気が広がらないのは、おそらく他の細菌や菌類などの微生物に邪魔されて、大繁殖ができない。…農薬を使わなくなって30年、私のリンゴの木にはたくさんの微生物が生息しています。その微生物たちの作り出している生態系が、斑点落葉病や黒星病の原因となる菌類の増殖を阻害している。
・日和見感染(人間の体の中にいて、いつもは何の悪さもしない細菌が、免疫力が下がったときなどに急に増殖して病気を引き起こす現象)…私の畑の斑点落葉病や黒星病には、それと反対のことが起きたのでしょう。→ つまり、リンゴの内生菌が活発に働くようになったおかげで、今まで悪さばかりしていた病原菌が、おとなしい常在菌のようになってしまった。…それが自然なリンゴの木の姿なのだと私は思っています。(※う~ん、説得力あり…)

22.生態系農家

・福岡正信さんは、自然にまかせて人間はできるだけ何もしないことを理想としました。←→ 私の栽培法では、むしろ人間はできる限りのことをして積極的に自然に関わります。→ 私の目指すのは、農薬や肥料のかわりに、自然の生態系を利用する農業、あるいは畑に自然の生態系の働きを組み込む、と言った方がより正確かもしれません。…微生物たちの働きを上手に利用すれば、農薬の助けを借りなくても病気の蔓延を防ぐことができる。
・ただし、ここで大事なのは、微生物たちの働きを、我々が上手に利用するということ。→ 私たち人間が何もせずに自然にまかせておいたら、じきに畑は畑でなくなってしまう(リンゴはおそらく枯れる)。…なぜなら、あの岩木山山麓に、人間の都合で、私たちはリンゴの木を植えたのです。自然がリンゴの木を選択したわけではなく、人間の都合を岩木山の麓の自然に、言うなれば押しつけた。…何かを押しつけられたら、誰だって嫌がります。病気や害虫は自然の気持ちの表れなのだと思います(※う~ん、この擬人化的表現はちょっと違和感が…。事実的には、植えた植物とそこの土中微生物とのミスマッチ、ということ…?)。
・今まではそれ(病気や害虫)を農薬と化学肥料で押さえ込んできました。→ 農薬や化学肥料にまかせきりにしたその役割を、人間の手に取り戻すこと。それも自然を押さえ込むのではなく、調和させることによって。…生態系の持っているバランス能力(※動的平衡?)を、人間が野菜や果物作りに生かすのです。
・人間が、自然の生態系とリンゴの木の間に入って、リンゴの木がそこの生態系の中で調和して生きていけるように仲立ちとなる。→ 人間と自然が共存していくシステムを作る。…それが私たち百姓の役割であり、これからの畑とはそういうものであるべきだと私は思っています。(※確かに「工業化」よりも、生態系を活かす方が〝未来性〟があるような気がする…)
〔※ちなみに、中沢新一氏の「脱原発」の根拠の一つも、原子力発電が、地球の生態圏の外部(太陽圏)に属する物質現象(核分裂反応)からエネルギーを取り出そうとする技術であり、なおかつ、この「太陽圏」の物質現象が地球の生態圏に及ぼしたものの影響(放射能汚染や放射性廃棄物の処理など)を、長い時間をかけてでも癒していく能力(科学技術)を、私たちの生態圏(人類)はもっていない(自然消滅を待つしかない…ex.「除染」も移染でしかない)、ということ。→ 詳細は、「震災レポート」⑨⑩参照。〕

23.自然は怠け者?

・私の農法では農薬だけでなく、化学肥料も有機肥料も使いません。それは、自然が基本的には怠け者だから。格好よく言えば、自然は無駄なことはしない。
・大豆の根に共生して窒素同化(窒素固定)をする根粒菌の粒は、大豆を初めて植えてから5年も経つと、ほとんどなくなってしまう。つまり、土の中に充分な窒素が供給されると、根粒菌は活動しなくなる。
・それと同じことで、①肥料を施すと、たとえば窒素とかリン酸とかを植物に供給する働きをする土中細菌が、どうやら働くのをやめてしまうらしい。…「あなたがもし宝くじに当たったら、明日会社へ行きますか?」…土壌細菌も同じようなものだと私は思います。…土中に窒素が充分に存在していれば、窒素同化(※空気中の窒素を取り入れて窒素化合物を作る)をする菌根菌は働かなくなる。眠っているのか、あるいはその場に必要とされない微生物は、さっさと淘汰される(追い出される)のかもしれない。…もちろんこれらは、私自身の観察に基づいて私が立てた仮説みたいなものですが…。
・〝怠け者〟なのは土壌細菌も、リンゴの根も同じです。→ ②(私が肥料を使わないもう一つの理由は)肥料を施すと根っ子があまり伸びなくなる。…リンゴの木にしてみれば、必要な養分が肥料によって得られるなら、苦労してわざわざ根を長く伸ばす必要はないでしょう。
・作物の出来を良くするには、まず根を育てなければならない。そのためにも、私は肥料を施しません。→ そのせいか私の畑のリンゴの木は、測ってみたら20m以上も根を伸ばしていました。普通の畑のリンゴの根の何倍もの長さです。…このリンゴの木は少ない養分を求めて、人知れず頑張ってこんなに根を伸ばしたのだなと思ったら、ちょっと涙が出ました。
〔※この項のまとめ:①肥料を施すと(過保護になって)、(植物と共生している)土中細菌が働くのをやめてしまう(怠ける)らしい。②根っ子も(怠けて)あまり伸びなくなる…〕

24.虫の顔はどんな顔?

・人間には、物事を善か悪かのどちらかに分けたがる傾向があるよう。…正義の味方か悪の手先か、益虫か害虫か、善玉菌か悪玉菌か…。→ その方が世の中を理解しやすいし、行動方針も簡単に立てやすい…善に味方し、悪を叩けばいい(単純化)。正義が悪を倒せば、世界は安泰でめでたしめでたし(勧善懲悪)。…テレビの時代劇も、本物の国と国との戦争も、だいたいそういう理屈でやっている。→ リンゴ畑の中もそうでした。私も長い間単純に、そう考えていました。(※現在の政治状況もまた…?)
・だから農薬はいつも法律で規制されている限界ぎりぎり、できるだけたくさん使っていた。…害虫だの病原菌だのは、リンゴの木に悪さをする憎っくき敵、徹底的に殲滅する以外にないと思い込んでいた。→ それさえ真面目にきちんとやっていれば、リンゴ畑はいつも綺麗で、毎年秋にはたくさんの美しいリンゴの実がなりました。→ 私はお礼に、木の根元にたっぷり肥料を施してやったもんです。…まあそういうわけで、リンゴは農薬と化学肥料で作るものだとばかり思っていました。
・その考えが、もしかしたらちょっと間違っているのではないかな、と考えるようになったのは、農薬を使わなくなってからのことです。→ 害虫が大発生して、1匹1匹手で取らなければならなくなった。1本の木から、買い物袋3袋分の虫が取れたこともあった。…そんなとき、ふと、この虫(ハマキ虫)はどんな顔をしてるんだろうと思って、虫眼鏡で覗いてみた。→ そしたらこれが予想に反して、なんとも可愛い顔をしていたのです。
・それから興味を持って、虫を捕まえては虫眼鏡で顔を覗いて見るようになった。→ これが面白いことに、人間が害虫としている虫は、だいたい可愛い顔をしていて、反対にその害虫を食べてくれる益虫は、なんだか怪物のような恐い顔をしていた。
・考えてみれば、害虫というのはリンゴの葉や実を食べる草食動物で、(クモやハチ、クサカゲロウの幼虫など)害虫を食べてくれる益虫は、肉食獣です。…猛獣に比べたら草食獣が平和な顔をしているのは、当たり前のことなのです。

25.草は美味しい?

・リンゴが実らず貧乏のどん底生活が何年も続いたおかげで、草の味については結構詳しくなりました。…リンゴ畑にはありとあらゆる種類の草が生えていたし、農薬も散布していないので、食べられそうな草は、片っ端から食べてみました。
・いちばん美味しいと感じたのは、やっぱりハコベ(胡麻和えとか、和え物にして食べることが多かった)。ただしハコベが美味しいのは花が咲く前。花が咲いてしまうと、葉が硬くなって美味しくなくなる。…それから、牛がいつも美味しそうに食べている牧草(オーチャードグラス)。あれは不味かった。繊維が硬くて食べられない。牛はよくこんなものを食べて消化できるもんだなと思いました。→ だけど考えてみれば、それが牛の能力なわけです。…柔らかくて美味しい葉っぱなら、他の動物が食べてしまう。誰も見向きもしないような硬い葉っぱだから、あんなに豊富にあるわけ。→ その硬い草を消化するために、牛には4つも胃があって、ひがな一日草を噛み続けている。生き物というのはすごいものだと思います。
・まあ、そういうわけで、いろんな草を食べてみてわかったことは、たいがいの草は不味いということ。→ 美味しかったら食べられてしまう。繊維を硬くしたり、苦くなったり、他の動物に食べられないように進化するのは、植物としては当然の戦略なのでしょう。だから、野生の草木で人間が食べて美味しいなんていうのは、むしろ例外的存在。…中には毒を作って、身を守っている植物もいるので、くれぐれもよく知らない草木を、興味本位で食べたりしないでください。

26.敵を作らない農業

・リンゴの葉や実を食べる害虫でも、リンゴの木にためになることを最低ひとつはやってくれている。…それは、(リンゴの害虫を食べてくれる)益虫の食料になるということ。→ その害虫を滅ぼしたら、益虫も滅びる。
・害虫(ここでは食べられる側)というのは、益虫(食べる側)よりも数が多く繁殖力も強い。そうでなければ、天敵に簡単に食べ尽くされてしまうから。→ 害虫をすべて滅ぼして益虫もいなくなった畑に、どこからかその害虫がちょっとでも舞い戻ったらどうなるか。→ 天敵の益虫がいないので、害虫はどんどん繁殖して、あっという間に畑中のリンゴの木にとりついてしまう。…それがつまり、かつて私の畑で起きたことです。…何が間違っていたのか。
・私が間違ったのは、ある虫がリンゴの葉を食べているのを見て、その虫を敵だと決めつけてしまったこと。それは真実のごく一部でしかない。…生態系とは、生きとし生けるものすべてが、網の目のようにつながって生きている、命の全体の働きです。→ その生態系の一部である生き物を、人間の都合で、善と悪に分けてしまうことが、そもそもの間違いの始まりなのだと私は思います。
・害虫とか益虫という言葉に惑わされてはいけない。→ 自然の中には、善も悪も存在しない。生き物はみんな、それぞれの命を必死で生きているだけなのです。どんな生き物も、生態系の中で与えられた自分の役割を果たしているだけなのです。
・敵なんてどこにもいないと気づくことが、私の栽培法の出発点です。…虫が大発生するのは、大発生する理由がある。→ その原因をつきとめて、そうならないように手当てをするのが百姓の仕事です。…虫や病気は原因ではなく、あくまでも結果なのです。虫や病気が蔓延したからリンゴの木が弱ったのではなく、リンゴの木が弱ったから虫や病気が大発生したのです。…虫や病気は、それを教えてくれていたのです。
・そのことに気がついて、私はひとつのマスコットを描きました(リンゴの葉を食べる憎っくき敵であり、つぶらな瞳の可愛いハマキ虫)。→ ようやくリンゴを収穫できるようになってから、お客さんにリンゴを送る段ボールに、そのハマキ虫のイラストを印刷しました(P93にイラスト画あり)。虫や病気と戦うのをやめたとき、自分のなすべきことが見つかったのだということを忘れないために。(※「患者よ、がんと闘うな」…)

27.1本の木には何個くらいリンゴが実りますか?

・リンゴの樹齢や大きさ、それから摘果の程度によっても違いますが、たとえば最も古株の樹齢50年のリンゴの木は、昨年1170個の実をつけてくれました。私の畑で(数えた中での)最高記録は1本の木に1400個以上なりました。(実を言えば、私は今まで一度もリンゴがいくつなるかなんて数えたことはなかった。数えてくれたのは、杉山教授の研究室の学生さん達です。)

28.いちばん好きな季節はいつ?

・冬です。(雪国では冬は)できることはほとんどないので、図書館に出かけて調べものをしたり、ずっと読めなかった本を読んだり、自分の好きなことができます。
・あの頃、冬になれば真っ白な雪が、病気や虫におかされた私のリンゴの木を覆い隠してくれました。周囲の農家からの目も、なんとなく和らぐような気がしたものです。→ 春になれば、雪が溶けて、無残な姿になってしまったリンゴの木が姿を現します。そして、病気や虫が、また襲いかかってくるわけです。…つまり、20年経った今も、トラウマになっている。それだけ余計に、冬が好きになるわけです。(※壮絶なる人生…)

29.栄養が余るから虫が来る

・大豆の根粒菌を利用する方法なら、(既述のように)土の中に必要なだけ窒素が行き渡ると、根粒菌は活動しなくなるので、窒素過多になることはない(サーモスタットつきのエアコンが、自動的に部屋の温度を維持するのと同じ)。
・人間が窒素肥料を施すのは、いわばサーモスタットの壊れたエアコンです。→ 土の中にどれくらい窒素分があるのかわからないままに、毎年窒素肥料を施せば間違いなく窒素過多になる。→ 作物にアブラムシが来るのは、おそらくそのせい。…アブラムシは余分な栄養を食べに来ている。→ そのアブラムシを殺すために農薬を使わなければならなくなるわけ。
・その証拠に、肥料を施さない(窒素過多にならない)自然栽培では、アブラムシの被害を受けることがほとんどない。→ もし肥料を施しているプランターや畑にアブラムシが発生したら、肥料をしばらく控えてみることをお勧めします。(※これもまだ仮説なのだろうが…)

30.大草原とバクテリア
・同じ畑で、同じ作物を毎年育てていると、作物の生育が悪くなり、収穫量ががた落ちします(連作障害)。…現代のように除草剤を使って雑草を根絶やしにすると、土壌細菌も単一構造になってしまう。→ 同じような菌ばかりが増えてしまって、それが連作障害を引き起こしている。→ そして連作障害が起きると、薬を使って土壌消毒をする。これは、土を土と見ていないことの表れだと思う。
・消毒とは、正確に言えば殺菌であり、良い菌も悪い菌も、そこの土壌にいるバクテリアを皆殺しにしている。→ 従って、一時的には連作障害はおさまる。…けれど、3年ぐらいするとまた発生する。土壌細菌がいなくなった空白地帯に、悪さをする細菌が大発生するから(※害虫と同じ構造…)。→ それでまた、土壌殺菌をする。消毒がやめられなくなる。…これを繰り返して、とうとうどんな作物も栽培できなくなった畑(※死んだ土)が、日本のあちこちにある。(※う~ん、〝敵視政策〟のなれの果て…?)
・だけど、私のように肥料を与えていない畑では、今まで何年同じ作物を植えても、連作障害は起きたことがない(※これは前回の新留氏の論とも重なる…)。…それは、私の畑にはいろんな雑草が生えているので、土の中の微生物が単一化していない。→ 雑草は、この連作障害を防ぐためにも必要なのです。
・連作障害は、病気ではない。…土の中の微生物層が単一化しているために起きる現象に過ぎない。⇒ 多種多様な生き物がいて、初めて生態系は守られる。…それは象やライオンのいるアフリカの大草原だけでなく、微生物たちの棲む土の中のミクロの世界でも同じことなのです。(※人間の世界もまた…。ただし、人間とその風土とのミスマッチはある…?)

31.なぜ冬はノコが切れるのか?

・雪の上での剪定(余分な枝を切り、リンゴの木の姿を整える)から、リンゴ農家の一年は始まる。…それは、この時期がいちばんノコギリが切れるから。他の季節だと、樹液に含まれるタンニンが、ノコギリにこびりついて切れ味が鈍る。ところが冬のこの時期は、リンゴの成長が止まっていて、樹液の移動がほとんどない。→ おそらくそのせいで、リンゴの木を切るのがとても楽なのです。

32.葉脈と枝の関係

・剪定の上手い下手で、リンゴの収穫量が大きく変わることもあれば、病気や虫への抵抗力も違ってくる。…リンゴ農家にとって剪定技術は、きわめて大切なもの。
・ところが無農薬栽培を始めてみると、それまで通り(他の農家と同じような)剪定をしたら、黒星病が激発。…他の人の剪定は、肥料や農薬を使うことを前提にした剪定だったから。→ それで何か答えを探していて、葉っぱの葉脈が参考になることに気づいた。
・葉脈というのは、根っ子からの水分や養分を葉の隅々にまで送り、葉緑素で作った炭水化物を運ぶためのもの。…人間の血管、地球全体でいえば川みたいなもの。→ そう思って、木の全体の形を見たら、枝というのも同じ働きをしている。…そう思って見たら、葉脈の形と枝振りはよく似ている。…どっちも水分や養分を運ぶことが目的だから、似ているのは当たり前のことかもしれない。(※こんなこと初めて聞いた…)
・葉っぱの葉脈の形は、植物によって違う。同じように枝振りも、植物によって違う。→ もしやと思って、それからことあるごとに、樹木の枝振りとその葉脈の形を見比べたら、だいたい同じ形なわけ。…葉が広がっている植物は、枝振りも広がっている。すらりと背が高い木は、やはり葉もすらりと細長く葉脈もすっと伸びている。
・葉脈の形がそれぞれの樹木の自然な姿に違いありません。→ それからリンゴの木を剪定するときは、リンゴの葉の葉脈を見ながら、葉脈の物まねをするようなつもりで剪定。→ そしたら、驚いたことにめっきりリンゴの病気が減ったのです。…リンゴ以外の樹木でも同じことだった。→ その果樹の葉を参考にしながら剪定すると、自然栽培に切り替えても病気が出にくくなるのです。(※う~ん、木村秋則、恐るべし…ただこの仮説は、どの程度妥当なのか…?)

33.「奇跡のリンゴ」は庭で育つか?

・もちろん育ちます。…気候に関しては、日本国内であればリンゴは基本的にどこでも育ちます。沖縄でもリンゴを植えている人がいます。(以下、具体的な栽培方法は、P113~116)
・上手くいけば苗を植えて3年目くらいに花が咲き、2~3個は実がなるだろう。→ それ以降の収穫は、その3年の間にリンゴの木や、土を観察し、勉強して、あなた自身がどれくらい農薬や肥料のかわりを果たせるようになったかで決まります。

34.枝を切ると木は元気になる?

・リンゴの苗を植えたときに、最初の剪定をしてください(詳細はP117)。…リンゴの苗がかわいそうと思う方もいるかもしれないが、剪定は正しく行えば木を元気にしてくれます。
・リンゴの苗木は、一度土から抜かれているわけです。そのときに目に見えない根が切れて苗木は弱っている。→ だからその切れた根っ子に合わせて、地上部である苗木のてっぺんを剪定してやる。…根がダメージを受けたら、地上部も少し減らして、リンゴの木の負担を減らしてやるわけ。→ 来年以降の剪定は、リンゴの葉っぱの葉脈を見ながら、枝の伸びが葉脈と同じになるようにイメージしてやってください。(※う~ん、説得力あり…)

35.虫は手で取ろう

・庭のリンゴの木なら、もし虫が来ても、手で取ってやればいい。問題は病気です。…病気の原因となる菌類は、リンゴの葉っぱの表面とか枝とかにすでに存在しているわけです。→ そういう菌類は、いつもはおとなしくしていても、自分が成長できる条件が整えば一気に増殖する。→ そして病気が広がってしまったら、手で取ることはできない。
・だからこればっかりは、病気にならないように予防するしかない。→ 酢を使うわけです。(酢の使い方の詳細は、P119~121)

36.酢の散布法

 (枚数の関係で、この項省略。→ 酢の散布法に興味のある方は、P122~124)

37.自然を逆さまに見る
・人間という動物は、五感の中でも特に視覚が発達しているので、どうしても目に見えるものを中心に世界を認識しようとする。→ そのせいで見落としてしまうこともたくさんある。
・その代表が、土の中のこと。…植物にとって何よりも大切なのは根っ子なのに、そのことをすぐに忘れてしまう。それが、いろんな間違いの元になっているのではないか。→ 土の中に隠れて目に見えないからこそ、想像力を働かせて、今この植物の根っ子はどうなっているかを考えることが大切。
・リンゴの木を育てるときも、リンゴの木がもし弱ったら、真っ先に根がどうなっているのかを考えてください。→ 根っ子さえしっかりしていて健康なら、リンゴは必ず元気を回復します。もし何かの原因で根っ子が弱っていたら、根っ子の負担を減らすために、地上部の枝を減らしてやることを考えてください。(※う~ん、含蓄のある話だ…)
・リンゴに限ったことではないが、私ができるだけ水やりを少なくするように言うのは、土の中にできるだけ酸素がたくさん存在する状態を保ちたいから。…土中細菌の中には、好気性菌と嫌気性菌がいる。自然全体から見れば、もちろん好気性菌にも嫌気性菌にもそれぞれの役割があり、どちらも必要なものだが、作物を栽培したり私たちが暮らしていく上では、できる限りこの嫌気性菌を環境から遠ざけておきたい。…嫌気性菌は酸素を嫌う細菌だが、それゆえ水はけの悪い場所などで増殖する傾向がある。そして嫌気性菌の中には、いわゆる腐敗の原因になったり、危険な毒物を生産するものが多い。…ex. ボツリヌス菌や炭疽菌(※食中毒や伝染病を起こす)
・だから土の中には植物が必要とする以上の水分がないように、水はけをいつも考えて育ててあげてほしい。→ 土の中の根っ子が、放線菌などの好気性菌と上手に共生できるように。
・私は畑を粗く耕すように指導しているが、粗く耕すと土の中に空気をたくさん取り入れることになるから。→ 空気が多ければ好気性菌が増える。隙間がたくさんあるから、作物も根を伸ばしやすい。…根っ子のことを考えれば、粗く耕すのが当たり前だとすぐわかります。
・(たまには自然を逆さまに見て)作物を育てるときは、まず根っ子のことを考える。それから、葉や枝のことを考える、というくらいでちょうどいい。

38.何種類のリンゴを作ってますか?

・収穫期で言うと私の畑では、いちばん早いのが(9月の半ば頃から)津軽という品種、その後は紅月、その次が紅玉、ハックナイン、王林、陸奥、そしてフジ。…フジは日本で今いちばん作られている品種で、雪が降り始める11月中旬くらいまでに収穫します。その他にも、ジョナゴールドとか、少しだけ作っている品種もある(ほとんど出荷せず)。→ というわけで、全部で7~8品種というところです。

39.農家になるにはどうしたらいい?

・これはあくまでも私の意見ですが、これからの(※未来性としての)農家には、いかにコストのかからない農業をするかという努力と、付加価値の高い農作物を作る努力が必要だと思う。→ そのためにも、農薬も肥料も使わない自然栽培を試みることを是非お勧めします。
・ただし、最初から収入を見込むことはできないので、他の仕事で収入を得ながら、少しずつ技量を磨き、耕作面積を増やしながら、プロの農家を目指すのが現実的だと思う。→ 最初は水田から始めるのがいいと思う(リンゴは、手間が水田の5倍はかかると言われ、自然栽培ならさらにその倍はかかる。農業経験のない方が、いきなり取り組むのは難しい)。…稲作は数千年の歴史のある農業だし、農薬や肥料を使わない自然栽培との相性もとても良い。→ 全国には耕作放棄された水田が増えているので、水田を借りるのはそれほど難しいことではないと思う。…家庭菜園を卒業したら、次は水田を探してみてはいかがでしょう。

40.個性的なリンゴ

・同じ品種のリンゴの木は、DNAが同じある意味でのクローンです。→ けれど不思議なことに、その同じ遺伝子のはずのリンゴの木が、私の畑の中だけでもみんなそれぞれに、ぜんぜん違う個性を持っている。…上へ上へと枝を伸ばそうとする木もあれば、横に広がろうとする木もある。毎年のようにたくさんの実をつける木もあれば、あまりつけない木もある。病気に強いのもあれば、弱いのもいる。とびきり美味しい実をつける木もあれば、そうでもないのもある。…もちろん共通するところもたくさんあるけれど、リンゴの木の1本1本はそれぞれに名前をつけてやりたくなるほど個性的なのです。

・1本1本がみんな違う。その違いにしっかりと目を向け、同じ生き物同士、一対一で向かい合うのがリンゴの木との唯一の正しいつきあい方であることを、私は長い百姓生活の末に学びました。→ もちろんそれはリンゴだけでなく、この世界に生きとし生けるものすべてがそうなのです。草だって、同じ種類の草なのに、生えている場所によって、まったく別物のような姿をしている草もある。
・人はこの世界を理解するために、あらゆるものに名をつけ、分類し、理解したつもりになっている。インターネットの世界には、そういう知識が気が遠くなるほどたくさん詰まっている。→ けれどこれから先、どんなに技術が進歩しても、さらに膨大な知識を詰め込んだとしても、私が今向かい合っているリンゴの木の性格については、そこには何も書かれていないのです。〔※う~ん、ともすれば一方の方向に大きく偏りがちな、現今の世相や風潮に対する、(ささやかな)警鐘・異議申し立て?…でもまあインターネットは、道具の使い方の問題か…〕
・本当の意味で自然とつき合うには、一対一で生身の心と体で、自然と向き合うしかないのです。…知識はそのつきあいのためのガイドブックの役割は果たすが、いくらガイドブックを読んでも、それは自然とつきあっていることとはまったく違うのです。…そういう意味では、ここまで私がお話ししてきたことも、ただの知識であり、ガイドブックでしかありません。土を知るには、土まみれになるしかないのです。(※すぐれた〝ガイドブック〟ではある…)

41.リンゴ箱と学校

・もちろん、人間だって、一人一人みんな違う。←→ それなのに、それこそリンゴ箱のように一つの教室に同じ年齢の子供を集めて、みんな同じという前提で教育をしている。それがそもそも間違いだと思う〔※う~ん、日本近代の学校教育のあり方に対する、根底的な(根っ子からの)批判…〕。1本のリンゴの木になるリンゴの実だって、一つとして同じものなんかない。まして、違う親から生まれた一人一人の子供は、みんな違っているのが当たり前なのです。←→ けれどリンゴ箱にリンゴを詰めるときと同じように、どうしても色や形を揃えようとする。→ 他のリンゴよりも小さかったり、色が悪かったり、傷がついているリンゴは、リンゴ箱からはじき出してしまう。落ちこぼれというやつです。
・リンゴならそういうものの方が、案外美味しかったりする(たいていのリンゴ農家は、見かけの良くないリンゴは、家族で食べたり友達にあげたりしている)。…ことに私の栽培法では、農薬や肥料を使う方法に比べて、どうしてもそういう不揃いなリンゴが多い(約3割)。→ その3割のリンゴはいろいろな加工品(ジュース、お酢など)にしている(ちなみにこの3割のリンゴをいかに上手に加工するかに、自然栽培のリンゴ畑の経営はかかっている…)。
・人間も同じだと思うのです。子供たちを一つのリンゴ箱に詰めるのは、あくまでも大人の側の都合です。そうした方が、効率がいいからそうしているに過ぎない(※現今の〝受験〟や〝就活〟も?)。⇒ 子供は一人一人みんな違う。その違いを尊重し、違うことを前提とした教育を、これからはもっと考えていかなきゃいけないと私は思います。(※教育の未来性…)
・それは子供たちだけのためではありません。私の経験では、それが上手くいくとリンゴ畑全体が上手くいくようになるのです。…世界をあっと言わせるような天才や偉人が、子供時代には落ちこぼれと呼ばれていたという例が、どれほどたくさんあることでしょう。
〔※関連参考資料:『反教育論』泉谷閑示(講談社現代新書)2013.2.20 ……音楽家でもある(パリの音楽院に留学経験もある)異色の精神科医の、直球の教育論…〕

42.リンゴはどこまで伸びるか?

・これは私も試したことはないので、本で読んだだけの知識ですが、高さ30mくらいの巨木になるそう。→ 本来ならそんなに大きくなる木を、人間の手が届きやすいように3mとか4mの高さに刈り込んで、毎年たくさんのリンゴの実を実らせてもらっている。…リンゴの木にはいくら感謝しても感謝し足りません。

43.芽の前に出るもの

・大豆を植えたら、いちばん最初に出るのは、芽ではなく根です。→ 大豆に限らず、ほとんどの種がそうです。まず根が出てから、芽が出る。……人間は地面の上から見ているから、どうしても土から顔を出す芽にばかり注目してしまう。だけどよく考えてみれば、根の方が先なのが当たり前です。→ 成長するにはまず、根っ子から水や養分を吸い上げなければいけないから。
・これは種のときの話だけではなく、自然栽培に切り替えると、稲でも大根でも、伸びが悪くなったように見える。…その差は歴然で、田植えをしてからしばらくは、慣行農法の稲の成長の方が明らかに良好。←→ けれどそう思うのも、地上の部分だけを見ているから。
・自然栽培の稲の成長が遅れて見えるのは、地下の根を先に伸ばしているから。つまり根から先に成長する(※基礎をしっかり作っている)。→ 根を引っこ抜いて見れば一目瞭然。貧弱に見える自然栽培の稲の方が、根っ子は遥かに発達している(細かいひげ根をびっしりと生やした、太くて長い根がびっしりと生えている)。…この地下の目に見えない部分が大切なのです。
・根を充分に発達させた後は、いよいよ地上の葉や茎が成長します。→ 成長が悪いように見えた自然栽培の稲は、ある時期を過ぎるとどんどん成長して、あっという間に普通の稲を抜き去ってしまう。⇒ 根っ子をまず先に伸ばすことを考える。…それはリンゴにも人間にも当てはまることだと思います。(※う~む、いろいろな領域にも通底するような、まさに根の深い話だ…)

44.自然の時間を生きる

・リンゴがまだなっていなかった頃は、たくさん時間がありました。…ひがな一日ずっと、1匹の虫を観察していたり、森の奥で草や木にお日様の光がどう当たるかを見て、一日を過ごしたり…。→ 朝日が昇る頃から、日が沈むまでずっと見ていてわかったのは、どの草も一日に1回はどこかで太陽の光を受けているということ。
・これは背の高い木が、背の低い植物のために、ちょっと譲ってやってるのではないかなと思うのです(※う~ん、木村さんの人柄がよく出ている解釈ではある)。というのも、木が成長していくと、下枝が枯れて落ちるのです。…太陽の光が当たらなくて効率が悪いから下枝を落とすのだ、と言う人もいるけれど(※こっちの方が合理的解釈?)、私はそうではないと思う。→ 自分の下に生えている雑草に少しでも光が届くように、木は自ら枝を落としているんじゃないのかなあと思うのです。なぜなら、雑草が生えていた方が木は助かるから(※共生)。
・雑草が生えていた方が、土中細菌が増えるということもある。…それに草が自然のクーラーの役割を果たしている(夏の暑い日に、雑草の生えている場所が、何も生えていない場所より10度近くも温度が低いことがある)。→ 木の根っ子にしても、ひんやりしていた方が気持ちいいに決まっています。だから自ら枝を落として、雑草や丈の低い木に光が届くようにしている。…自然の生態系はそういうふうにして保たれているのではないかなと思うのです。
・まあ、それが当たっているかどうかはわかりません。だけど、虫や草たちのことを観察しながら、そういうことをぼんやり考えている時間は、私にとってとても大切な時間です。…たまには時計のことを忘れ、自然の時間を生きてみることも必要だと思うのです。人間だって自然の産物なわけですから。
                                 (8/27 了)        

【(手元にある)木村さんの参考資料(発行順)】

①『奇跡のリンゴ』石川拓治 幻冬舎 2008.7.25(2008.11.15 7刷) → 文庫化 2011.4月

②『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則 日本経済新聞出版 2009.5.8(2009.5.22 2刷)

③『すべては宇宙の采配』木村秋則 東邦出版 2009.8.8

④『リンゴの絆』木村秋則 主婦と生活社 2010.3.8

⑤『木村秋則と自然栽培の世界』木村秋則(責任編集)日本経済新聞出版 2010.6.24

⑥『百姓が地球を救う』木村秋則 東邦出版 2012.3.2

⑦『奇跡を起こす 見えないものを見る力』木村秋則(扶桑社文庫)2013.6.15(単行本 2011.9)

⑧『地球に生まれたあなたが 今すぐしなくてはならないこと』木村秋則 KKロングセラーズ   2014.4.1                                                                                  


 次回は、「経済論」の拡張編として、いま話題の『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫(集英社新書)を取り上げる予定です。
 …記録的な(経験したことのない)異常気象による災害が続いています。地球環境だけでなく、「資本主義」も、もはや〝想定外〟の(未知の)領域に入ってしまったのかもしれません。…そして、来るべき「新しいかたち」は、依然として見えてこない…。
 次回は、秋の気配も深まる頃に…(お身体どうかご自愛ください)。
                               (2014年8月27日)

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